集団の悪について

ネットイナゴは、ブログ管理人が自分らの言うことを素直に聞いて謝罪したら勝ちだと考えているようである。
当事者間で話し合いがついている事柄に、どうして、第三者であるネットイナゴが謝罪を要求するのだろうか?
それは、当の管理人がのらりくらりして暖簾に腕押しであるため振り上げた拳の落としどころが見つからないからなのか、それとも、中韓の対日謝罪キャンペーンをそっくり真似ているからなのか、単なる暇つぶしなのか。

  • 追従者の怠惰と思考停止

大半の人たちは、リーダーとなるよりはむしろ追随者となることを好む (中略) 人に従うことは容易なことである。指導者となるよりは追随者となるほうがはるかに楽なことである。
 (中略)
子供が親を頼りにするように、リーダーにたいする心理的依存が生じる。こうして、普通の人は、いったん集団の一員となるや、たちまちにして情動的退行を引き起こす。
〜 M・スコット・ペック(著)「平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学」p.272より引用 〜

集団の中で人は、リーダーに依存してしまい、自ら考えることをやめてしまいがちである。 自分で考えることをしなくなった人達は、精神的な退行を引き起こして幼児的な言動を行ってしまう可能性がある。 幼児というのは自己中心的なものである。

あまり感心しないことではあるが、現実に広く見られる集団ナルシシズムのかたちが、「敵をつくる」こと、すなわち「外集団」にたいして憎しみを抱くことである。これは、初めて集団を組むことを学んだ子供たちにも自然に発生するものである。その集団に所属しない人間は劣った人間か悪い人間、あるいはその両方であるとして見下される。その集団にまだ敵がいないときには、ごく短期間に敵がつくられる。
 (中略)
こうしたナルシシズムの利用は――無意識のものであろうと意図的なものであろうと――潜在的に邪悪なものである。
〜 M・スコット・ペック(著)「平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学」p.274-275より引用 〜

ナルシシズム(narcissism):自己愛、自己中心主義、自己陶酔症。

ネットイナゴが徒党を組んで特定のブログを荒らすコメントスクラム現象の背景には、上に引用した集団ナルシシズムが働いているからだ、とも考えられる。 そしてもし、虫使いがリーダーとして存在するとすれば、彼ら虫使い達はこの集団ナルシシズムの心理を巧妙に利用しているのかもしれない。

同様の心理は、各ブログ・サービスの囲い込みに通じるだろうし、当然、はてな村にも適用できるだろう。

  • 暴徒化するイナゴと、しないROM(または、コメンテーター)との違い。

違いがあるとすれば、自分達の集団ナルシシズムを意識しているかいないかによって行動規範が大きく変わってくるということ。

意識できていなければ、常に暴走を繰り返す迷惑な集団として見られるようになり、
正しく認識できていれば、個々人が抑制の効いた言動を行うよう心がけるだろう。

  • 個人と集団

ネットイナゴは、個々が単独行動する際にはワリと「いい人」として大人しく振る舞えると思う。 しかし、集団となった場合は暴徒化し、その邪悪性を見せつけることとなる。 これは、彼らの帰属意識の違いにあると思われる。
単独行動の場合は、自分自身に帰属しているので大人しく行動するけれども、集団に帰属した場合はその集団の持つ空気(雰囲気)や場の流れに左右されるようになる。 そして突撃厨となって他所の場を荒らすネットイナゴと化すのである。

以上、傍若無人ネットイナゴと集団の悪について思うところを書いてみた。

  • 参考

Voice of Stone #1387 ネットイナゴは「他人の不幸=蜜の味」を求める
俺は此処に居る - 子供騙しの伝説には、もうごまかされやしない
花見川の日記 - 半熟たまごクレーム事件について
少年少女科学倶楽部:素晴らしき哉! チープ革命!

  • 関連記事

鍵大工学部 - 誰も批判しない2chまとめブログの問題点
takoponsの意味 - ネットイナゴと虫使い
Slow Jamz - 批判的コメントの文化研究

  • 補足

2006年8月23日 AM6:00 「追従者の怠惰と思考停止」を追記。


平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学
M.スコット ペック M.Scott Peck 森 英明

草思社 1996-12
売り上げランキング : 29134

Amazonで詳しく見る
by G-Tools