真夜中の洗濯

夜中に洗濯中。 寝る前のひと眠り。

  1. 人間には、「こころ」というものがあるらしい。
  2. 目に見えるカラダと、目に見えないココロとがあるらしい。
  3. ココロって何だろう?
  4. どうやらそれは「脳」のことらしい。
  5. 複雑な脳神経の反応・作用によってココロが作られているらしい。

ホントにそうか?

本当に、脳がココロなのだろうか?

  • 「こころ」って何だろう?

その答えを探すために、ある人は哲学的な思索に耽り、ある人は宗教本を読みあさり、ある人は芸術衝動に駆られたり、ある人はオカルトの世界に足を踏み入れたり、ある人は新興宗教に入信したりする。

  • ヒントを得るために、答えを求めるために。

現代科学では明確に提示できない事柄に関して、ナゼ?と疑問を持った時、手探りの冒険が始まる。

新興宗教団体の門を叩き、信者になった人達は、教祖に帰依する。 教祖様に絶対帰依する、させられる。

「こころ」って何だろう?という素朴な疑問から端を発してカルト教団に入った若者達は、ココロを奪われる。 肝心の「こころ」を乗っ取られる。

ココロの不思議を解き明かしたい、と思って入った宗教に、自分のココロを渡してしまう。

どうしてだろう。

それは、

社会が悪いのか?

宗教が悪いのか?

教義が悪いのか?

教祖が悪いのか?

自分が悪いのか?

  • 悪魔のささやき

権力を手に入れた人間は、いかな教祖といえども、悪魔の誘惑には勝てない。

そして、悪魔の誘惑に負けた教祖は、その立場を利用して権力を行使する。

  • 悪魔にココロを奪われる。

「こころ」って何だろう?と思って入った宗教の、その教祖が、悪魔に魂を渡していたら、いったいどうなるのか!?

……寝る。(書きたいことに、まだ辿りつけていないけど、とりあえず。)

補足すると、私は、「一連の事件は悪魔の仕業だから教団に罪はない。」とは考えていない。 教団にも信者にも罪は、ある。 その罪は大きく、そして重い。

さらに補足すると、私は別に、松永さんに対して「罪をつぐなえ!」と言うつもりはない。 そんなつもりで拙記事を書いたワケではない。

  • ある判断が、思考に与える影響について。

擁護派の方々が松永さんを擁護すること自体は自由だし、擁護したいその気持ちも理解できる。(ホンの少しだけど気持ちは分かる。) しかし、その自分の判断と発言が、今後の自身の思考に影響を与えてしまうかもしれないことは注意していただきたい。