続々・無神論のこと

修辞的疑問、つづき。 - *minx* [macska dot org in exile] はてなブックマーク

本題の「無神論」へ進む前に。

  • 可能性のこと


でもわたしは「あなたは不誠実な人間だ」と言ったのではなく、あなたの論法は(あなたが自覚しているかどうかは別として)これこれこういう理由で不誠実なので、もっと誠実な議論をお願いしますよ、と言ったつもりでした。

 ところがあなたは、それを「あなたは不誠実な人間だ」という意味にとらえ、逆に「macskaさんは、takoponsは不誠実で失礼な人間である、ということにしておきたいのでしょうか?」と言ってきました。それをわたしが修辞的疑問だと解釈し、こっちは誠実な議論をするようにお願いしているのに、わたしが相手の人格を貶しているみたいな言い方をして決めつけるとはますます不誠実だ、と思ったのです。

>わたしが相手の人格を貶しているみたいな言い方をして決めつけるとはますます不誠実だ

確認ですが、↓以下の2つのご発言は、takoponsの人格をおとしめているワケではないのですか? (確認のための疑問文)

  1. まぁ、もしかしたら不誠実なのではなく、ただ単にあなたの能力の問題でまともに議論に応じられないだけという可能性もありますが。
  2. ただ単にあなたが表現が下手あるいは論理に弱いために、意図せず「修辞的疑問にしか読めない質問」をあなたが書いてしまった可能性です。
  • takoponsは、まともに議論に応じる能力がない可能性がある。
  • takoponsは、表現が下手な可能性がある。
  • takoponsは、論理に弱い可能性がある。

↑macskaさんご指摘のこれらの可能性は、takoponsの人格をおとしめているワケではなく、takoponsの能力「議論能力,表現能力,論理能力」に疑いを持たれて書かれたのですか? (何かに疑いを持つことは良いことだと思います)

macskaさんは、「まともに議論に応じる能力がなく、表現が下手で、論理に弱い可能性のある相手(=takopons)との議論」を望んでおられるワケではないですよね?
これらの可能性は低い、とmacskaさんが判断なさったから、


前回言ったとおり、以前のやり取りは一度リセットして臨みたいと思います。
と、議論の続行をお望みなのでしょう。(本題は次の記事で書く予定です)

  • 敵意のこと


takoponsさんは、「恣意的な断定が含まれていると自分も思うが、敵意があるとは限らない」と思っているのかもしれませんが、断定の含まれない修辞的疑問だってありますよ。たとえば、「お前は何度遅刻すれば気が済むんだ」という表現に「へぇ、あと三度ほど」と答える人がどこにもいないように、これは通常の疑問文ではなく修辞的疑問ですが、何の断定も含みません(遅刻の多い人を怒っているだけです)。

 このように、修辞的疑問には、表面的な内容(あなたは何回遅刻をすれば気が済むのですか?)と別に、それを通して伝えられる本来のメッセージ(何度も遅刻しやがって、許さん!)が含まれます。わたしは修辞的疑問そのものが悪いと言っているのではなく、修辞的疑問の形式によって伝えられた(ように見えた)メッセージに応対しているのです。

私は、修辞的疑問に断定が含まれているかどうか?を問題にしているのではなく、「修辞的疑問に敵意があるとは限らない(敵意は無いかもしれない)」ということを言いたいのです。

もう一度、↓↓↓前回の記事から引用します↓↓↓(太字はtakoponsによる加工)


修辞的疑問には恣意的な断定が含まれている、と私も思います。しかし、修辞的疑問から敵意――質問者の心の中に本当に発生したのかどうか分からない敵意――を感じ取って、「修辞的疑問だ不誠実だ」と指摘していたら、議論は進まないですよ。

無神論者は、「存在するかどうか定かではない神など居ない。神は存在しないのだから、神は居るか居ないか?という論争そのものが無意味だ」との立場をとっているものと存じます。(もし私の認識が間違っていたら、ご指摘ください)

macskaさんは、修辞的疑問について↓こう述べておられます。


修辞的疑問は、一見丁寧な表現のなかに敵意や恣意的な断定を潜り込ませることができる強力なレトリック

macskaさんのおっしゃる通り、修辞的疑問の中には敵意や恣意的な断定が潜り込んでいるかもしれません。修辞的疑問には、敵意が入り込んでいるかもしれないし、悪意が織り込まれていることだってあるでしょう。

しかし、明確に存在するかどうか定かではない敵意――質問者の心の中に本当に発生したのかどうか分からない敵意――を感じ取って、「修辞的疑問だ不誠実だ」と指摘していたら、議論は一向に進みません。質問者の心の中に発生した(かもしれない)敵意を過敏に感じ取って、敵意のタネを自分の中で大きく育てて「敵意だ不誠実だ失礼だ」と相手を非難するのは過剰反応だと思います。

一方、文章中に「死ね・殺す」「アホ・バカ・マヌケ」「能力の問題・表現が下手・論理に弱い」等の分かりやすい表現(否定的表現)が用いられているのなら、相手から敵意を感じ取るのはたやすいことでしょう。(敵意のない可能性も若干残っているとは思いますが)

  • 不確定要素に対する態度

無神論者なら、明確に存在するかどうか定かではない敵意など「存在しないもの」として扱い、本題に入って議論を進めることを優先させるハズです。
私は無神論者ではない(有神論者)ので、不確定要素を「無いもの」として扱うのはどちらかと言えば苦手で、不確定要素に対しては「今はまだ分からない」と判断保留にしがちです。
私には断言力が足りないよなーと思っていて、間違っていても構わないからとにかく断言する、断言することで生まれるチカラってあるよなーと思います。でも、そのチカラは危険だよなーとも思う優柔不断。


次回へ続く(予定)