続々・世界のこと

不倒城: なんだかtakoponsさんにお返事書いてるよ。 はてなブックマーク
しんざきさんへのお返事(2回目)。


前提がすれ違っている気がします。そして、このすれ違いは多分、ちょっとすり合わせが難しいものです。

一言で言うと、私は特殊論を話しており、それを人類全体の一般論に敷衍する気があんまりありません。一方、takoponsさんの土俵は一般論であり、人類全般の話の様な気がします。

しんざきさんの世界(世界への接し方)が特殊だとは私は思いません。
人類の未来はどうなるか?とか地球がどうなるか?ってことは二の次三の次であり、最優先事項は自分自身と自分の家庭や職場、友人関係などをできるだけ良くして行くことである、という考え方は一般的だと思います。



私の大前提は、「たとえ社会全般が悪い方向に向かっていたとしても、その中で(ただ目をそらす、という意味ではなく)自分と自分の周囲がそれなりに幸せに暮らすことは可能な筈であって、それはエゴイスティックかも知れないけれど、別に間違った姿勢ではない」というものです。まあ、勿論地球がぶっ壊れるとか日本が沈没するとか、そこまでいくとちょっと話が難しいかも知れませんが。

もう一度云います。しんざきさんの大前提が特殊論とは私は思いません。
利己主義の蔓延する現代において、しんざきさんのような考え方は普通だと思います。誤解のないように書いておくと、利己主義=悪と言っているワケではありません。
ただし、過度のエゴイズムは問題でしょう。これも誤解のないように書いておくと、しんざきさんが過度のエゴイストだと言っているワケではありません。(誤解されないように書くのは大変です)



つまるところ、私はまだ自分の世界に手一杯なので、人類全般の話にまで目を向けることが出来ないのです。takoponsさんの土俵でお話をするには力不足なのです。人類全般の話をされても、私はいまいち困ってしまうのです。

ぶっちゃけた話、私の特殊論に対して人類全般の話をされる時点で、私にとっては「話題の飛躍」なのです。

上の前提はいかがでしょう。すり合わせは可能ですか?

  1. しんざきさんは、「私の特殊論」とおっしゃる。
  2. takoponsは、「しんざきさんの世界の話は特殊ぢゃない」と思っている。

私は、しんざきさんのお話とtakoponsの話は同じベクトルを向いている、と思っています。ただ、しんざきさんは具体的で地に足が付いた状態で語られているのに対して、takoponsは抽象的で宙に浮いたような話をしているのかなーとは思います。

しんざきさんの世界(世界との関係や距離感)が特殊か特殊でないか?という点に関しては、すり合わせは難しいです。しんざきさんの「世界」についてのお話は一般的だと私は思うので。一般的という言葉が不適切であれば、理想的と言い換えても良いです。




この活動をずっとずっと繰り返してきた人類によって、世界はより良くなってきたハズです。今はどうでしょう、良い現在ですか? 未来はどうなるのでしょう、良い将来が望めそうですか?
私が話しているのは私にとっての特殊論であって、人類全体の話ではないのです。人類全体が「そうやって」生きてきたのか私は知りませんし、懐疑的です。あらゆる親が子供が生まれて元気をもらうのかどうか私は知りませんし、懐疑的です。本当に人類は、その活動をずっとずっと繰り返してきたんでしょうか。よく知らないんですが。

>人類全体が「そうやって」生きてきたのか私は知りませんし、懐疑的です。

しんざきさんがお知りになる必要はありませんし、お疑いになっても一向構いません。人類全体がどうやって生きてきたのか?に興味を持たなくても、生きてはいけますから。

>あらゆる親が子供が生まれて元気をもらうのかどうか私は知りませんし、懐疑的です。

あらゆる親が子供から元気をもらって自分自身に活かすことができるのか?と問われるならば、コインロッカー・ベイビーや赤ちゃんポスト、幼児虐待などの事例により、「すべての親が自分の子から発せられる元気を感じるワケぢゃない」と言わざるを得ません。
しんざきさんの懐疑心はこれで晴れましたでしょうか?

>本当に人類は、その活動をずっとずっと繰り返してきたんでしょうか。よく知らないんですが。

「人類」と大枠で捉えようとすると分かりにくいですね。身近な例で言うなら、しんざきさんの親御さんのことは、しんざきさんがよくご存知だと思います。
私は、人が子を生み育て、その子がまた子(孫)を生み育ててゆく人間の営みと、人間の活動による文明の発展について話をしたつもりです。間接的で実感しにくいかもしれませんけど、それらは日々の生活につながっていると思うのです。




自分にとっての「いい世界」の範囲を広げていくことは、周囲の人々にとっての世界を壊すことにつながる、という意識を持つことが大事だと思います。
広げ方によると思います。
具体的な方法論を確立してる訳じゃないですが、私がここで書いた「広げ方」は割と受身です。私は、自分に関わろうとしない人について、自分から関わりにいこうとするつもりがあんまりありません。ただ、自分に関わりに来てくれる人については、自分が出来る範囲で上手い関わり方をしたいと、相手が楽しくなる関わり方をしたいと頑張っています。これも、私の中では「いい世界」を広げていくことです。

私はこの関わり方で人の世界を壊した記憶がありません。ただ、重ね重ね言っておきますが、これは私にとっての特殊論なので、人類全般にとっての真理なのかどうかは知ったこっちゃありません。

良いと思います。
「これが人類の真理だ!お前ら喰え!」と強気で迫るよりも、「もしかしたら俺のほうが特殊で少数派なのかもしれないけど、こんな世界はどうですか?」と恐る恐る近づいて行ったほうがお互いにダメージは少ないでしょうから。広まるスピードは遅いかもですけど。(あと、トロイの木馬に注意して……って気づいた時にはもう遅いか;)




世界は一つ、人類みな兄弟という題目を実践するための方法は、宇宙人に攻めてきてもらうのが手っ取り早いと思います。
そうですね。ただ正直なところ、私は別に、世界が一つであることを欲してはいないですが。

しんざきさんが前の記事にて↓


世界は一つ、人類みな兄弟という題目を実践しようとするならば、まずは自分の足元、狭い世界をきちんと固めてからの方がいいんではないかと思う訳です。
↑と書かれていたのを受けて、「世界は一つ、人類みな兄弟という題目を実践」するための最速の方法は何だろうか?と思い、やはり人類共通の敵を設定すれば一致団結するだろうと思って書いたまでです。
そもそも私は、「世界は一つ、人類みな兄弟という題目」をしんざきさんより先に掲げた覚えはありません。(ここで先に掲げているぢゃないか!といったご指摘があればどうぞ)




takoponsは自分の世界を良いところだと思っていないクセに、他人のブログ記事に口出ししている。これは矛盾している。takoponsは他人に口出しするな!
私はそんな反論はしないですよ。前提のすり合わせが無理だなーと思ったら黙っちゃうこともありますが。

これは私の言葉足らずでした。すみません。
「予想される反論」で想定した反論者は、しんざきさんではありません。しんざきさんは「そんな反論はしない」でしょうから。失礼しました。

しんざきさんへのお返事は以上です。

  • d-iskさん

コメント欄のd-iskさんへ


この方は人類が不幸だと信じて疑わないようですね。
だから幸福を語る人が許せないんだと思います。
だから幸福を語る人を攻撃するんだと思います。

そして自身の結論には一切の疑いがないため、
こちらから歩み寄っても決してそれが揺らぐことはありません。
また結論はすでにあるので、向こうが歩み寄ることも絶対にありません。
そのため話がかみ合うことは永遠にないんです。

簡単に言ってしまえばこれは宗教です。
この方の場合は自身の思想が信仰対象です。
一度洗脳されてしまった信者を治すのは大変なことです。
赤の他人が治すことなど不可能に近いでしょう。

だからこういう人にかまってはいけないんです。

他人(takopons)に歩み寄るつもりが無いのは、d-iskさんのほうなのでは?



揺るがない信念は良い効果も悪い効果も生みます。
勘違いしてる人が多いかもしれませんが、
残念ながら信念は万能ツールではないのです。

↑この部分は同意します。


(追記 2008/07/12 2:01)


コメント欄にまで噛みついてくるレベルとは想定していませんでした。
疑問に思ったことを訊いただけなのに、「コメント欄にまで噛みついてくるレベル」って表現はすごいなあ。
コメント欄にて発言している点ではd-iskさんも同じだろうに。
(追記おわり)