続・誤認のこと

考え方の違いかもしれないけど - 万人に対する対潜戦 はてなブックマーク

まず、前提として、誤認逮捕をゼロにすることはほぼ不可能でしょう。かなり難しいことだろうけど、警察組織の「誤認逮捕をゼロに近づけようとする意識(心がけ)」が大事だと考えます。
ゆんゆん


僕の誤認逮捕に関する考え方は、ちょっとたとえを変えるとこんな感じ
交通事故で過失の無い子供を轢き殺すのは「駄目」か「駄目じゃない」か?
「良くないこと」ではあるんだろうけど、「駄目」では無いと思う。
なぜなら、世界中の人類が車の利用を止めれば交通事故は無くなるのに、みんな車には乗り続けている。
これは「車の利用」の便利さが「交通事故」のデメリットを超えるメリットを持っているから「罪の無い子供を轢き殺す事は、それほど駄目じゃない」っていう合意(?)が社会全体にあるからだと思う。
逆に、「あまりにも交通事故の犠牲者が多すぎる」っということでその合意が無くなれば、毒ガス兵器とかクラスター爆弾とかみたいに規制が進むだろうし。
実際には「免許制」とか「速度制限」などで緩く規制はされているんだけど、逆に言うと「この程度規制しとけば、後はある程度、轢かれて死ぬのはやむをえない」というような合意があると見なせると思う。
逆にもし「交通事故で過失が無い子供が殺されるような事故は、絶対に根絶しなければならない」というような合意があったならば、もっと厳しい規制になってるだろうし。(「公安、救命系の公共機関以外、自動車の利用禁止」とか、「速度制限、一律時速10キロまで」とか)
その点では、やっぱり誤認逮捕は駄目じゃないと思う。

〜 中略 〜

【追記】
よく考えたら、誤認逮捕に関しては「ある程度はしょうがない」っていう社会的な合意は無いような気がしてきた。
もしかしたらあるかもしれないけど、交通事故ほど明確には無いような気がする。
論の根幹には影響は無いと思うけど、ちょっと後で考え直します。

↑上の引用文の【追記】から↓

  1. 誤認逮捕に関しては「ある程度はしょうがない」っていう社会的な合意は無い
  2. 交通事故ほど明確には無い

id:kurohitujiさんの主張する「ある程度はしょうがない」という社会的な合意が、誤認逮捕には無くて、交通事故に有るのなら、初めから交通事故の喩え話を持ち出す必要はありません。交通事故の喩え話は、論の根幹に影響ないどころか、論に関係ない喩え話だったと言えるからです。kurohitujiさんがご自分で持ち出してきた交通事故の喩え話を、【追記】で「交通事故ほど明確には無いような気がする」「ちょっと後で考え直します」と言って本論(誤認逮捕)と切り離そうとするのは、いったいどういうことでしょう?

もう一度云います。交通事故で過失の無い人間を轢き殺すのは、しょーないことではありません。駄目なことであり、業務上過失致死傷などの罪に問われます。これは、歩行者のほうに過失がある場合でも運転手が有罪になることから明らかです。ただし、交通事故をゼロにすることはほぼ不可能です。かなり難しいことですが、運転手の「交通事故をゼロに近づけようとする意識(心がけ)」が大事なのです。

あと、「かもしれない」「ような気がする」などの言葉を使って社会的合意を語っても、社会的合意は得られません。
ゆんゆん


医療についても、「世界最高水準の医療を、世界最低クラスの料金で、24時間いつでも受けられます。でも時々事故もあります」程度だったら僕は問題ないと思う。
0.01%の確立で起こる医療事故を、0.001%に減らすのにかかるコストを考えたら、多少の医療事故を許容するメリットのほうが大きいと思う。

確立ではなく「確率」です。そして、医療事故の起きる確率はもっと高いです。多発する医療事故を受け、これを問題視した業界関係者は事故を減らす努力をされています。医療界内部の取り組みだけでなく、産業界の品質管理や危機管理などの手法を取り入れている病院もあります。
医療事故に遭った患者や家族のことを考えてみてください。「ある程度はしょうがない」では済まされないのです。ただし、医療事故をゼロにすることはほぼ不可能でしょう。かなり難しいことだろうけど、医療界の「医療事故をゼロに近づけようとする意識(心がけ)」が大事だと考えます。



【追記2】
id:takoponsさんから「クルマに喩えて説得力を下げてしまった例。」というコメントがあったが、具体的な指摘が無いので、意図は不明。
詭弁のガイドラインの「13.勝利宣言をする」って奴なのかな?
「説得力」って主観的な概念だから、どうとでも言えるしね。
論理が間違っているなら、指摘してもらえると嬉しいです。
「説得力」「迫力」「雰囲気」とかは指摘してもらっても直しようが無いので、ちょっと放置…。

詭弁のガイドラインの「13.勝利宣言をする」って奴なのかな?

詭弁のガイドラインを挙げる、ということは、「takoponsの説は詭弁である」と暗に言いたいのでしょうか?

まあいいです。ご説明しましょう。

id:kurohitujiさんは、ご自分の説「誤認逮捕は駄目じゃない」を強化するために、交通事故の例を挙げて、『「罪の無い子供を轢き殺す事は、それほど駄目じゃない」っていう合意(?)が社会全体にあるから』と説明されました。
ですが、道路交通法には、「罪の無い子供を轢き殺す事は、それほど駄目じゃない」なんてことは書かれてないし、道交法の基本理念「交通の安全と円滑な流れ」にも反しています。


第一章 総則
(目的)
第一条  この法律は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする。

道路交通法には社会的合意があります。この道交法に反する主張「罪の無い子供を轢き殺す事は、それほど駄目じゃない」をしておきながら、kurohitujiさんの言う合意が社会全体にある、などと言われても私は納得できません。

喩え話は、自説を補強・強化したり、ある事象を分かりやすく説明したりするために使うものです。でもその喩え話に読者が納得しなかったり、ある事象(本論)と喩え話との関連性が薄いなーと読者に思われてしまったりしたら、喩え話を使う意味(効果)はないのです。喩え話がヘタな人だなー、と思われて終わりです。

ついでに言うと、「○○っていう合意が社会全体にある」という言い方も、自説を強化する手法の1つです。自説内に「俺の意見には社会全体の合意がある」との強化剤を混ぜることで説得力の強化(客観化・全体化)を図るワケです。で、読者が「確かに○○には社会全体の合意があるかもなー」と思ってくれれば説得は成功です。しかし、読者がそう思わなかった場合、「こいつは何を根拠のないコト言ってんだ?妄想か?」と疑って終わりです。


今回、私は、kurohitujiさんの主張する、

  1. 【刑事捜査】誤認逮捕は駄目じゃない
  2. 【交通事故】罪の無い子供を轢き殺す事は、それほど駄目じゃない
  3. 【社会合意】↑っていう合意(?)が社会全体にある

のどれにも納得していないので、「クルマに喩えて説得力を下げてしまった例」と、はてなブックマークにてコメントしたのです。
念のため申し上げておきますが、私は納得したくないから「納得できない」と言っているワケぢゃなくて、kurohitujiさんの説に納得できないから「納得できない」と言っているのです。kurohitujiさんが論理的な説明をされて、その論説がじゅうぶん納得できるものであれば、私は素直に納得するつもりです。場合によっては、私の考えが180度変わるやもしれません。が、現時点ではまだ納得できていません。

  • 最後に

kurohitujiさんの説「罪の無い子供を轢き殺す事は、それほど駄目じゃない」が、法治国家の社会規範から離れた、法や倫理を無視した領域において語られるのであれば、そういった類の自由思考はアリだと私は思ってます。(思考内容に私が同意するかどうかは別として)
しかし、『「罪の無い子供を轢き殺す事は、それほど駄目じゃない」っていう合意(?)が社会全体にある』といった説には全く同意できません。そのような社会的合意は無い、と言っておきます。
以上です。