モヒカン族は異文化コミュニケーション能力が高いのではないか?
「異文化コミュニケーション」ってNOVAうさぎが謳って宣伝してたけど、NOVA猿橋望前社長のコミュニケーション能力は高かったのかな?
ここで、モヒカン族とムラビトの対比を持ち出して、つらつら書いて行こうと思うんだけど、まず結論を書いておく。
モヒカン族のほうが異文化コミュニケーションの能力は高いのではないか?
ってこと。
〜〜 終了 〜〜
ここから先は長いので、興味のある方だけ読んでね♪
とりあえず、
- モヒカン族は場の空気が読めないし、読もうとしない。だからコミュニケーション能力は低い。*1
- ムラビトは空気を読む能力に長けていて、人の上下関係を瞬時に察知する。だからコミュニケーション能力は高い。*2
との仮説を立ててみる。
「場の空気」と書いたが、これは閉鎖的な空間における、なんだか近寄りがたい雰囲気みたいなものだと思って欲しい。例えば、共通の趣味を持つ集団(同好会)とか、クラブ・サークル活動とか、営利企業やNGO,秘密結社や宗教団体などなど。広く言うと、国や民族の中にも同様の空気感はあるだろう。人間が一つ所に集まって同じ時間を共有すると独特の空気が形成されていくと思うから。もちろん、場の空気は感覚的なものであって、目には見えないけどね。
先ほどの仮説に少し補足を加えて再掲する。
- モヒカン族は場の空気が読めないし、読もうとしない。だから(異なる文化を持つ人たちから見て)コミュニケーション能力は低い。
- ムラビトは空気を読む能力に長けていて、人の上下関係を瞬時に察知する。だから(同じ文化を持つ人たちから見て)コミュニケーション能力は高い。
と言えないだろうか?
さらに言い換えると、
- モヒカン族は誰に対してもプリミティブ(原始的)なアプローチを試みる。だから、異なる文化を持つ人たちから見て、モヒカン族のコミュニケーション能力は低いように見える。
- ムラビトは誰に対しても高レベル(空気読め&上下関係&挨拶・礼儀・謙虚さ&態度・口調・文体&親近感・優しさ・フレンドリー)なプロトコル(手続き)によるアプローチを求める。だから、同じ文化を持つ人たちから見て、ムラビトのコミュニケーション能力は高いように見える。
つまり、
- モヒカン族=原始的で単純
- ムラビト=高度で複雑
となる。
ここまでの話はよろしいでしょうか?
さて、異なる文化を持つ者どうしのコミュニケーションを考えた場合、モヒカン族とムラビトとでは反応が違うだろうなーと思っていて、
- モヒカン族は異文化との原始的なアプローチを続けようと試みる。
- ムラビトは異文化とのコミュニケーションを拒否する。
といった、コミュニケーションを続けるか拒否するかの大きな対応の違いがある。モヒカン族とムラビトの典型的な行動パターンから想定すると、上記のような答えが導き出される。
ここで、異文化とのコミュニケーションを拒否する人(=ムラビト)のコミュニケーション能力は、本当に高いのだろうか?との疑問が生じる。
- モヒカン族的なものというのは、「異文化間で原始的なコミュニケーションをしなければならない」というwebの普及し始めのころの状況に最適化されたスタイルだと思っている。
- 今現在はチャットやメールだけでなく、音声や動画もガンガン飛び交っているが、でもやっぱり原始的な部分は残っていると思う(特にブログなんかでは)。
- いわゆる「モヒカンとムラの摩擦」というのは、コミュニケーションは「異文化との原始的なもの」というつもりでモヒカン側は構えていたところにコミュニケーションは「同じ文化との高度なもの*2」というつもりのムラな人が入ってきて摩擦が起こっているのではないかな、とか思っている。
- 若者を悪く言うつもりはないが、(俺を含め)あんまり人生経験なかったり、異なった「場」を複数経験していないような人は、他人を「同じ文化の人」と思いがちだし、それゆえ高度なコミュニケーションをいきなりやってしまいがちのような気がする。
同意します。
- モヒカン族は、コミュニケーションを「異文化との原始的なもの」と捉えている。
- ムラビトは、コミュニケーションを「同じ文化との高度なもの」と信じて疑わない。
だから、異なる文化を持つ人間に接した時、
- モヒカン族はいつもと変わらず、平然としている。もし興味が湧けば原始的な手法を用いてコミュニケーションを試みる。
- ムラビトはわけの分からないものに対して恐怖を感じる。自分の目の前から消えて早くどこかへ行って欲しいと願う。
のだと思う。
- 結論
ムラビトよりも、モヒカン族のほうが異文化コミュニケーションの能力は高いのではないか? 少なくとも、初手から拒否反応を示さない点においては、モヒカン族のほうが異文化コミュニケーションの成功率は高いのではないだろうか?