コミュニケーションを拒否する人にコミュニケーションを語って欲しくない

記事タイトルは私自身へのブーメラン発言になりそうな気がするので、「takopons、お前が言うな」と最初に自分に言っておく。そして、構わず書く。

そしてもう終わったハズのはてブ偉そう問題をコミュニケーション論に絡めて蒸し返す。


はじまり


僕は仕事上、どうしても「伝わらない人に伝えなければならない状況」というのがあるんです。
〜 中略 〜
そこで、肝臓というのは、身体のこの場所にあって、こういう構造をしていて……と「理科」の授業をはじめると、それこそ半日かかってしまいます。一生懸命説明しても、反応は「で、悪性腫瘍っていうのは、『癌』じゃないんだよな、よかったよかった」だったりすることもありますし。「自分たちの身体のことなんだから、もうちょっと予習してきてくれればいいのに……」とボヤきたくもなるのですが、それでも、「医者には説明義務がある」のです。「相手が不勉強だから切り捨てる」というのは許されません。
でもまあ、実際は、本当に「理解してもらえている」と感じることのほうが少ないくらいなんですよね。
〜 中略 〜
それでも、そういうふうにして話をすることのメリットというのは、確実に存在するのです。
〜 中略 〜
そして、受け入れてもらうために大事なことというのは、実は「流暢に話をすること」よりも「相手の不安や疑問にちゃんと答えるという姿勢を示すこと」なんですよね。

fujiponさんの「相手の不安や疑問にちゃんと答えるという姿勢を示すこと」は、不安や疑問を感じている相手に対して1つ1つ回答していくこと、と読んだ。それは原始的で時間のかかる遣り取りだけど、コミュニケーションに臨む態度が大事ですよ、と。医者がサジを投げたらおしまいですよ、と。

知識や経験の全く異なる患者と医者との間では、質問と回答が1セット・1シーケンスとなったシンプルなコミュニケーションが必要になるのでしょうね。

ところで、先日fujiponさんの書かれた、


実は、はてなを息苦しくしているのは、こういう「ネットの中では、常にみんなが『議論』を望んでいるのだと疑わない人たち」の存在も大きいのではないでしょうか。
〜 中略 〜
「人気エントリ」になれば、書き手の大部分は、アクセス解析などを経由して、自分のエントリにつけられた「ブックマークコメント」を目の当たりにするのです。
言ってみれば、「自分は『理論派』だと思い込んで、あちこちに議論を吹っかけているブックマーカー」っていうのは、
〜 中略 〜
「訓練」したいなら、そういうのをやりたい連中だけでやってくれないかね、迷惑だから。

理論派ブックマーカーは迷惑だから、そういうのをやりたい連中だけでやってくれ、とのfujiponさんの主張は、一部のブックマーカーに対する「コミュニケーションの拒絶」と私は読みました。←これがtakoponsの誤読であれば、ご指摘ください。もし私の誤解であれば、fujiponさんの意図をご説明ください。takoponsは著しく読解力が低くて曲解しまくる何も分かっていない患者だと思って。

で、

何を言いたいかと問うならば!問うならばー!

fujiponさんは、おっしゃってること「理論派ブックマーカーは迷惑だから、そういうのをやりたい連中だけでやってくれ」とおっしゃってること「相手の不安や疑問にちゃんと答えるという姿勢を示すこと」が少し矛盾してやしませんか?

ってこと、ですよねぇー!


表現に問題があったみたいで、うまく伝わらなかったのは残念だけれども、

と残念がり、


いやほんとに、どうしてわかってくれないんだろう、

と悲観して、


「訓練」したいなら、そういうのをやりたい連中だけでやってくれないかね、迷惑だから。

と拒否するのではなく、


受け入れてもらうために大事なことというのは、〜 中略 〜「相手の不安や疑問にちゃんと答えるという姿勢を示すこと」

が大切だと私は思います。

私は、fujiponさんの発言内容に矛盾を感じてます。もし、fujiponさんが、「俺は仕事では患者とのコミュニケーションに尽力するが、ネットでは理論派ブックマーカーを拒絶するぜ」と回答されるのであれば理解できます。場所によって振る舞いを変えるのは常識あるオトナとして普通のことですから。


当たり前のことなのですが、人は、「自分の話を聞いてくれる人」の話は、「自分も聞いてあげようと思う」。
逆に、「聴く耳を持たない人」に対して、何かを伝えようとする人はどんどんいなくなっていきます。

理論派ブックマーカーを拒否するfujiponさんに対して、何かを伝えようとする理論派ブックマーカーはどんどんいなくなっていきます。fujiponさんの望み通りに。


僕は基本的にネットで何かを書くときには、「伝わる人にだけ伝わればいい」と思っていますし、極端な話、読んでくれた1000人のうち1人でも「そこまで言うなら、俺もブログやってみようかな」という気持ちになってくれれば十分なのです。

「そこまで言うなら」の「そこ」がどこを指しているのか分かりませんでした。

この2つの記事を指すのでしょうか。もしこの2記事だとして、これら2つの記事を読んで、「よーしパパ、ブログ開いちゃうぞー」という気持ちになる人はいるのかな?私はいないような気がします。


「相手が不勉強だから切り捨てる」というのは許されません。

とおっしゃるfujiponさんが、fujiponさんの記事に寄せられたコメントやトラックバックに対してほとんど返事せずに切り捨てて、


いやほんとに、どうしてわかってくれないんだろう、と思うことってありますよね実際。

と嘆くのはおかしいんぢゃないですか?「わかってくれない」のは、fujiponさんの記事を読んで、コメントやトラックバックを寄せてくれた人たちの読解力の低さが原因なのですか?
ただし、ここで注意すべきは、「わかってくれない」のが誰なのか不明なことです。「わかってくれない」のはfujiponさんの担当する患者さんかもしれない、fujiponさんのブログ読者(コメント者)かもしれない、fujiponさんの記事にトラックバックを送ったブロガーかもしれない、ブコメを付けるはてなブックマーカーかもしれない。もしかしたら、fujiponさんが「僕の話は通じないなー」と思った相手全員が「わかってくれない」人なのかもしれない。



しかし、読めばわかることが読めていない、ということは、相手は、文章をよく読む習慣がないか、思い込みで文章を読んでしまうか、とにかく「読解力」に問題がある可能性が高い。読解力によって生じた問題を、相手にもう一度読ませること、つまり、相手の読解力に頼るカタチで解決しようとするのは、得策だろうか?
読み直したとしても、また、別の部分を誤解し、別の部分につっかかってくるかもしれないのだ。

fujiponさんは、読者の読解力の問題にしておきたいだけなのでは?


しかしながら、こうやってここで文章を書いていると、「自分を守るために」どんどん独善的になってしまうな、とも感じています。
本当にすべてを「受け入れよう」とすれば、僕は確実に壊れてしまうでしょうから。

そうですね。自我を守るためには、ある程度のコミュニケーション拒否と情報断絶は必要だと思います。よって、今回もfujiponさんへのトラックバックは送信しません。

  • 最後に

コミュニケーションを拒否するような人には、山田ズーニーさんの本を持ち出してきてコミュニケーションを語って欲しくない。
いや、語るのは自由なんだけど、「コミュニケーションを拒否するお前が言うな」って突っ込まれるのがオチだから語らないほうが良いですよ?

おしまい