指摘すると「偉そう」と反発される問題

  • 誰かの意見に対して正否判定すると「お前は裁判官か?」と逆に質問されちゃう問題

「いいえ。私は裁判官でも検事でもありません」と答えると、「ぢゃあ黙っとけ」と返すような相手は、言説の内容(何を言ったか)ではなく、権威や肩書きなどの属人的な部分(誰が言ったか)を重視する人なんだろうね。
つまり、自分よりも偉いか偉くないか?が受け入れ判断の大部分を占めている人。有名な人か?とか、東証一部上場企業の社員か?とかで意見を評価する人。でも、そーゆー判断基準を持つ人って普通に居るよね?というか、数の大小で言ったら、属人的な判断を下す人のほうが多いよね?
そして、友人が強く勧めるから〜、テレビに出てる芸能人が宣伝してるから〜、県警の幹部がやってるから〜「だから信用できる」といった理由でマルチ商法に騙される人たちも、属人的な判断に思考を委ねているのかもしれない。

  • 相手に謙虚さを求める人は奥ゆかしいのか問題


以前から時折ニセ科学批判をする人に対して、「偉そう」とか「謙虚さが足りない」というような指摘があったりしますが、もしかしたらこういう考え方とつながっていたりするのかな、というようなことも考えたりしました。

ナゼ、指摘されたら「偉そう」と思ってしまうのか問題については、先日の記事に書きました。


【問い】どうして偉そうに見えるのか?

【答え】ムラ社会の暗黙ルールから外れた行為だから。

  1. 日本人は、自分に対して意見したり質問したりできるのは自分より目上の人だけだと思い込んでいる。
  2. 日本人は、自分より偉い人だけが自分に反論できるのであって、自分と同等かそれ以下の相手からアドバイスや異論・反論などを受けることを基本的に良しとしない民族である。
  3. 日本人は、そうした上下関係の掟を有形無形にすり込まれてきた。もしくは、処世術として身につけている。(長いものにはマカレナ)

だから、自分の記事に対して否定的なコメントを付けるはてなブックマーカーが偉そうに見えるのです。対等であったハズのネット上の関係が、ネガコメを受けることによって主従関係(主=ネガコメ者,従=自分)に変化してしまうように感じるのです。

で、指摘対象の相手から「偉そう」と反感を持たれてしまったら、それはコミュニケーションの導入部(入り口)で失敗したことになります。相手は耳を塞いでいるワケですから、その場を取り繕うために何を言ってもムダでしょう。
だから、反発を受けにくくする方法としては、いきなり問題箇所を事務的に指摘するのではなく、同意できる部分は共感し、フレンドリーな友好の意思を前面に提示し、こちらに敵意のないことをアピールしつつ、「でもね、落ち着いて、気を悪くしないで聞いて欲しいんだけど、ココの部分はちょっと違うと思うんですよ」と優しくやんわりニコニコと遠慮がちに指摘してあげると良いと思います♪
そんな丁寧なこと、はてなブックマークぢゃ出来ないよね。

  • 善意の衝動に突き動かされて(間違った)活動を行っている人、最強


「病院にたくさん問い合わせが来て治療業務に支障が出ている」とかデメリットを説明してチェーンメール行為をやめてほしいと言うと「そんな議論はしたくない。善意でやっているのに」と受け取られてしまうことがありました。

善意を否定してるワケぢゃなくて、「やり方が良くないよー」と指摘してるだけなのに、迷惑な善意の人って「善意でやっている」大義名分があるからなのか、指摘を受け入れてくれないみたいですね。
この件に関して、前々回の記事でもちょっぴり触れてます。


少し話が逸れますが、善意のほうが怖いこともありますし、悪意のない世界は本当に美しいのだろうか?とも思います。

善意や正義で動く人のパワーって、どこか別の場所からエネルギーを引っ張ってきてるんぢゃないか?と疑ってしまうくらいに暴力的な怖さを感じます。(イメージ)
厄介な善意、自分で自分をマインドコントロールする正義。

  • 最後に

記事内容とは全然関係ないけど、id:dlitさんのプロフ画像って、クレーの「忘れっぽい天使」ですよね?

この絵は好きです。