自惚れのこと

ブログを書く意味 - 琥珀色の戯言 はてなブックマーク


 この巨大な図書館で、誰かが手にとってくれるかすらわからないし、「役立てて」くれる人なんて全然いないかもしれない。でも、その本は、とりあえず「そこにある」。

 本はいずれ朽ちて捨てられてしまうだろうけど、手に取ってくれた人の中に、ごくごく微量でも「何か」を遺し、それがなんらかの形で未来に繋がっていくかもしれない。

 ささやかな自惚れですが、僕にとっては、これは、数少ない「存在証明」のひとつなのです。

存在証明ですか。


『はてな』を窒息させる「理論派ブックマーカー」 - 琥珀色の戯言 はてなブックマーク


「ネガティブブックマーカー」は論外なのですが、実は、はてなを息苦しくしているのは、こういう「ネットの中では、常にみんなが『議論』を望んでいるのだと疑わない人たち」の存在も大きいのではないでしょうか。彼らが言っていることは、「正しい」ように思えるけれども、大事な視点が抜け落ちています。

それは、「あなたが議論を吹っかけているエントリを書いているのも一人の『人間』であり、傷ついたり腹を立てたりする」ということ、そして、「すべての人間が、議論をしたくてブログをやっているわけではない」ということ。「人気エントリ」になれば、書き手の大部分は、アクセス解析などを経由して、自分のエントリにつけられた「ブックマークコメント」を目の当たりにするのです。

言ってみれば、「自分は『理論派』だと思い込んで、あちこちに議論を吹っかけているブックマーカー」っていうのは、公共の公園で、「ここでいつも自分たちが遊んでいるから、という理由で、ピクニックに来て寝転んでいる親子連れを狙撃するサバイバルゲーム愛好家」みたいなものです。「訓練」したいなら、そういうのをやりたい連中だけでやってくれないかね、迷惑だから。

fujiponさんにとって、ブログが数少ない存在証明のひとつであるならば、理論派ブックマーカーの存在も認めてくれませんか? 迷惑がらずに。

ブログが本なら、ブックマークは栞(しおり)です。本に栞を挟んだら迷惑なのですか?

あと、ピクニックに来て寝転んでいる親子連れをエアガンで狙撃したら傷害罪(刑法第208条(暴行)または第204条(傷害))に問われることになるんだけど、エアガンによる狙撃と理論派ブックマーカーによる議論がなんで同列に扱われているの? ブロガーに対して論理的に反論した理論派ブックマーカーは傷害罪で捕まったりするワケ?
戯れ言は戯れてる時だけ言ってくれないかね、迷惑だから。