続・クレイモア

先週、ポスト・ヒューマンの魔術師から3度のトラックバックを頂き、1度こちらから返信トラバを送りました。今回はその続きです。
【長文注意】長いです。
【反論注意】拙記事には反論と疑問・質問が含まれております。
【前提条件】

  1. 「知的な人」と思われたい、という下心ってあるよね? - takoponsの意味
  2. takapons氏のスパルタ的な言葉遊びを超えて、無知な自分に誇りを持とう。 - ポスト・ヒューマンの魔術師

この↑2つの記事を読んでから以降↓へお進みください。まあ、無理に読まなくてもいいけど、ザッと眺めておいたほうがスムースに話に入れますよ。



  • 謝辞

当ダイアリー右サイドバーのピックアップ記事をお読みいただき、誠にありがとうございます。
これから生意気にも反論させていただきますことをどうかご了承ください。

  • はじめに

ポスト・ヒューマンの魔術師の管理人:木村さんはなぜ、私(takopons)の記事に反発されたのだろう?
私の記事が間違っていたからかもしれない。では、どこがどう間違っているのか?
ではこれから、木村さんの難解な記事を追っていくこととしよう。



本題に入る前に、いきなり結論っぽいことを書くよ!

  • 結論

森羅万象すべてを易しく分かりやすく説明することは、おそらくできないでしょう。
また、読者は限られてしまいますが、難しいことを難しいまま伝えたほうが分かりやすい場合もあるでしょう。
言葉ではどうしても言い表せないことがあります。SF的には、他人の脳髄にジャックインすれば言葉を介さずに理解できるやもしれません。


さて、
難しいことそれ自体に価値はありません。が、世の中には「難しいこと・難解なこと」をありがたがる風潮があるようです。
文章をトリミングして要約すると実際にはほとんど何も語っていないのに、難しい言い回しや修辞(レトリック)に惑わされて錯覚を起こしてしまう人がいるようです。
どんな錯覚か?
難解な文章の書き手も読み手も、自分の頭が良くなったような錯覚です。でもそれはカンチガイです誤解です。


こんな難しい文章が書けるオレってスゴイ!
そんな難解な文章が読めるオレって頭イイ!


もし、難しい文章に需要(ニーズ)があるとしたら、それは、一時の高揚感を求めてのことでしょう。難しい文章を書くこと・読むことによって訪れる一瞬の賢者感――自分が賢くなったような気分――難解によるドーピングです。
その賢者感は錯覚なのですが、一度味わってしまった感覚を再び得るために、難解フリーク達は難しくて高尚そうな文章を探し求めます。そう。難しい文章は一種の麻薬なのです。
難しい文章の書き手(バイヤー)は、「難しいこと自体に価値がある」とカンチガイする客(難解愛好家)が見に来てくれている間は商売が成り立ちます。
だから、難解な文章の書き手にとって、「難しいこと自体に価値はない」と主張する別の店(難解否定派)は商売の邪魔となり、迷惑で目障りなのです。


私は主張します。
難しいことそれ自体に価値はない。
と。


難しいこと自体に価値はない。これは、一万円札それ自体に一万円分の価値がないのと似ています。一万円札にあるのは交換価値です。一万円札そのものに使用価値があるとすれば、折り紙や手品として遊べることくらいでしょうか。
忌むべきは、簡単な事柄を難しく難しく書こうとすることです。難解依存症や難解中毒患者を増やしてはなりません。


ところで、
ポスト・ヒューマンの魔術師の管理人:木村さんは、takoponsのことがお嫌いですか?




  • 本論

takapons氏のスパルタ的な言葉遊びを超えて、無知な自分に誇りを持とう。 - ポスト・ヒューマンの魔術師 はてなブックマーク

まず、記事タイトルに反論します。
無知を自覚するのは大事ですが、無知な自分に誇りを持ってはダメでしょう。
無知を知って謙虚になるならともかく、自分の無知を誇ってどうするんですか?
無知の開き直りですか? 最悪ですね。



  • 難しいコト=高価値ではない

難しいことを難しいまま説明するのは難しいことではない。 それは簡単だ。
むしろ、難しいことを易しく説明することこそ、難しい。

 「難しさ」と「容易さ」の二項図式に囚われる状況をとりあえず無視するなら、この見解には賛成できる。既に私も「頭の良い人は難しい概念も簡単に説明できるはずだ」=難しい概念で取り上げている。私自身が専門家や知識人が「無知」を拡大させているという見解である以上、こういった結論に至るのは不自然ではない。


 ただ、ここでどうしても思考停止に陥ってしまう。難しいことを易しく説明することが難しいとなると、「難しいことを易しく説明する方法」もまた難しいということになってしまうからだ。<takapons節>に倣うなら、「難しいことを易しく説明する方法」を易しく説明しなければならない。

いいえ。「難しいことを易しく説明する方法」を易しく説明する必要はありません。
難しいことを易しく説明することは、難しいのです。
「難しいことを易しく説明する方法」――そのような方法がもし手に入るのなら、私はその方法を3つ入手して、1つは使い、1つは売り、1つは金庫に保管しておくでしょう。


それと、「<takapons節>」には2つの誤記があります。

  1. 強調のためのカッコ付けは、不等号<>ではなく、山括弧〈〉を使ったほうが良いです。不等号<>記号を括弧〈〉として用いるのは正しくないので。
  2. 私のはてなIDは、takaponsではなく、〈takopons〉です。

とは言うものの、私も引用符として不等号「>」記号を使ってます。



<takapons節>のスパルタ的誤指導

 しかし、この<takapons節>に対して、我々は「困った」と言うしかない。この<takapons節>は、堂々巡り(無限後退)が含まれているからだ。<「難しいことを易しく説明する方法」を易しく説明する方法>を易しく説明するためには、一体どうすれば良いのだろう?takapons氏自身に自覚は無いのかもしれないが、この<takapons節>には、こうした背理を呼び起こす魔術的な言葉遊びが内在している

いいえ。私の説に堂々巡り(無限後退)は含まれていません。
難しいことを易しく説明することは、「難しいこと」なのです。この「難しいこと」の内奥へ再帰的・フラクタル的に入り込んでゆく必要はありません。堂々巡り(無限後退)などしなくても良いのです。
「難しいこと」それ自体に価値はありません。難しいことを易しく説明できる人に価値があるのです。そして、難しいことを「理解すること」にこそ価値があります。



 実際、takapons氏も、この方法については全く何も説明できていない。説明したつもりなのかもしれないが、頓挫に終わっているのだ。

確かに、私は「難しいことを易しく説明する方法」については何も説明していません。
あらゆる場合に対応できる「難しいことを易しく説明する方法」――そのような銀の弾丸(魔法のように便利な解決方法)は存在しないからです。
「難しいことを易しく説明する方法」の対象を限定すれば(例えばプログラム言語)、難しいこと(=プログラム言語)を易しく説明する方法は、プログラム言語に深く精通することです。ただし、プログラム言語に詳しいだけでは、初心者に対して易しく説明することはできないでしょう。
やはり、難しいことを易しく説明することは難しいのです。



あるいはtakapons氏は、「難しいことを易しく説明する方法」を説明していたのかもしれない。しかし私には、難しくて発見できなかった。takapons氏にとって易しい説明でも、私には複雑過ぎたのかもしれない。こうして無知な私は、takapons氏に対して「言動不一致だ。自己矛盾だ。」という「ネガコメ」を与えたくなるのである。

木村さんの張られた「説明していたのかもしれない」のリンク先は、別テーマの記事です。

  1. 2005年12月17日UP:「知的な人」と思われたい、という下心ってあるよね?
  2. 2008年06月05日UP:バカのこと

この2つの記事に関連はない、と筆者である私は思うのですが、なぜ木村さんは「バカのことのコメント欄」に「説明していたのかもしれない」とリンクを張られたのですか?



 たとえば以下の実効性の無い言葉遊びについては、簡単に批判できてしまう。


文章を書く時は、分かりやすさに注意を払うべきだ。
分かりやすく書くことに意味があるハズだから。

 takapons氏が「難しいことを易しく説明する」という理想を掲げていることtakapons氏がこの理想を全く実現できていないこと。この二つのポイントを前提とするなら、このtakapons氏の発言はスパルタ的に複雑だ。達成不可能な目標を掲げ、それができない者たちに鞭を打つ(この鞭は、「無知」と掛けている訳じゃありませんよ)。やはり傍目から観た我々からすれば、「困った」としか言い様が無い。

私はなるべく分かりやすく書くよう心がけているつもりですが、「難しいことを易しく説明する」という理想を私が全く実現できていないのであれば、それは私の力不足です。
takapons氏がこの理想を全く実現できていないこと」とは、具体的にどの部分でしょうか?
もし、ご指摘いただけるなら、より分かりやすく書き直したり補足説明したりする用意が私にはあります。(あ、全部とかはナシですよ? 全部って言われてしまうと、それは読者の知識量や理解力の問題も絡んでくると思うので。)ただし、追加説明をしない場合もございます。何卒ご了承ください。



 そもそも万人にわかり易い説明というものは、存在しない。何も考えていない読者様は、短目で、わかり易く、正確な説明というものを要求する訳だが、それはできない相談というものだ。短目の説明にすれば、正確さが失われる。わかり易く説明しようとすれば、説明過多となる。正確さを重視するならば、専門用語というわかり難い言葉を使うしかない。何かを犠牲にするしかないのだ。

この部分↑は私も同意します。
同意はしますが、「だから難しいままで良いのだ」と開き直ってしまったら、専門家と初心者の溝はいつまで経っても埋まりません。(木村さんが開き直っている、と言いたいワケぢゃないので注意!)
専門家と初心者の間を橋渡しする、難しいことを易しく説明してくれる人(難解の翻訳者)が必要だと思います。



 もし短目でわかり易い説明があるというなら、それは正確さを欠いている。「短めにわかり易く書き換えることができる書き手がいる」という仮定で話を進めるなら、<ある書き手がわかり易く短めに書いた文章>と<別の書き手がわかり易く短めに書いた文章>との間に、差異があるということだ。つまり、正確さの差異である。たとえば、左翼が語る「大衆でもわかり易い政治学」と右翼が語る「大衆でもわかり易い政治学」とでは、どちらが正しいのだろう?ルーマン学派が語る「入門レベルの社会学」とフランクフルト学派が語る「入門レベルの社会学」とでは、どちらが正しいのだろう?量子力学を学んだ直後の者たちは、どうやればニュートン力学を信じるようになれるのだろう?「短目でわかり易い説明」は、こんなにも難しい問題を投げ掛けているではないか!

量子力学ニュートン力学も、どちらも難しい学問なのでは?
正しい・間違いの正否判断と、易しい・難しいの難易度は、評価基準が違うのでは?
何かを判断するには、その何かについて理解しておく必要があり、その理解への導入として「わかり易い説明がある」のでは?



 もし「短目でわかり易い説明」というものがあるなら、無論、その説明というものをお目に掛かりたいところだ。

では、僭越ながら1つお見せいたしましょう。
この記事→「ネガコメ」を批判する=「ネガコメ」というパラドクスの前に、「ネガコメ」拒絶者は何ができるのか? - ポスト・ヒューマンの魔術師←を短くひと言で表したのが、私のこの↓はてなブックマーク・コメントです。


批判の中にこそ大事なことがある、という簡単な話を難しく書くとこうなるよ、の典型。
↑いかがですか? 分かりやすかったでしょうか?



言うまでもなく、わかり易さに絶対値は無い。間主観的に妥当な解釈を尊重するというならば、ベルクゾンからドゥルーズへと継承された「ドグマティックなイマージュ」はどうなる?多くの人々がわかり易い説明をした場合、その説明では対処できない複雑な問題に、多くの人々が慌てふためくことになるだろう

わかり易い説明では対処できない複雑な問題がもし発生した場合は、その複雑な問題を調べれば良いのです。調査班には、その難しい問題に対処できる人物を充てたほうが良いでしょう。
もし、複雑な問題に対処できる人物がいなかった場合は、人材を育てるところから始めます。その難しい問題の内容によっては、時間との勝負になるかもしれません。(問題解決が早いか、人類滅亡が先か、といったレベルの超重要案件であれば。)
そして、複雑な問題に対処できたなら、その問題に関わった人が調査結果と対処法をできるだけ分かりやすく説明すれば良いのです。



 takapons氏の説明は、到底実現できない妄想を理想としている。それ故、<takapons節>の言葉遊びを真に受けた初心な読者は、思考停止に陥る。仮にこの理想が実現できたとしても、それは理想が<妄想として>実現したに過ぎない。

妄想は、実現しないから「妄想」なのでは?
言葉の辞書的な意味がよく分かりませんでした。もしかして、辞書が違いますか?
私の説が妄想だということに、木村さんがどうしてもしたいのであれば分かりますが。



tapapons氏が主張する「難しいことを易しく説明すること」は、ブーメランの如く自爆し、「難しいコト=高価値ではない」妄想となった訳だ(takapons、「知的な人」と思われたい、という下心ってあるよね?、閲覧日時:2008/06/05 18:36)。

いいえ。妄想ではありません。
難しいこと、それ自体に価値は無いのです。
難しいことを「理解すること」に価値があります。



「分かること」の必要性はあるのか?

 まずは「分かることの必要性」という前提から崩していくことにしよう。上述した<takapons節>の堂々巡りの無限後退が良い例となるように、我々は通常、こうした堂々巡りの無限後退に付き合っている暇は無い。他にやることがある者にとって、<takapons節>などどうでもいいことであろう。「難しいことをわかり易く説明する方法」を「分かる」ためには、暫定的に、短絡的に、単純化して、盲点があることを無視して、決定するしかない

私の説が「堂々巡りの無限後退」で「付き合っている暇は無」く「どうでもいいことであ」るならば、どうして木村さんは反応されたのですか? 他にやることがなくてヒマだったんですか?



 「分かる」ことを追及すれば、堂々巡りの無限後退に陥ってしまう。これは何も<takapons節>に限られたことではない。たとえば多くのネットサーファーは、「分からないこと」をウィキペディアで調べようとする。それで「分かった」つもりになることは可能ではあるのだが、そのウィキペディアの内容が真実か否かを「分かる」ためには、ウィキペディアに記載されている参考文献を検証しなければならない。たとえ参考文献を検証することで「分からないこと」が「分かった」としても、今度はその参考文献が学術的に正しいのか否かを検証しなければならない。そのためには、別の情報源が必要となる。


 こうした堂々巡りの無限後退を防ぐには、自覚の有無を問わず、暫定的に、短絡的に、単純化して、盲点があることを無視して、決定するしかない。面倒臭い人々は、ウィキペディア程度で満足するだろう。だがそれは無自覚に、「分かった<つもり>」になっているということである。我々は大概、「分かること」と「分かった<つもり>になること」とを混同している。こうした混同を日常的に意識することは、少ない。


 これを前提とするなら、「難しいことを易しく説明すること」、「分かり易く説明すること」の代価案として掲げられるのは、「読者が分かった<つもり>になることができる説明」である。納得してしまう説明、もうこれ以上考えなくても済む楽な説明。思考をサボれる説明。こうした説明こそに、ニーズがあるのだ。

この部分↑が、簡単な説明を受け続け簡単を求め続けることによって自らの思考を放棄してしまうことへの批判・皮肉として書かれたものであるならば、同意します。
しかし、そうではなく、簡単な説明を受け続け簡単を求め続ける者たちのニーズに単純に応えていれば良いのだ、という意図で書かれたものであるならば、同意しません。
と、こう書くと、「分かりやすく表現しろ」という私の説と矛盾するぢゃないか!と言われてしまうかもしれませんが、「分かりやすく表現すること」と「思考を放棄すること」は違います。私は、思考することは大事だと思っています。



結論

 「分かった<つもり>になること」と「分かり合えた<つもり>になること」を重視すれば、堂々巡りの言葉遊びを生み出す<takapons節>を打開することが可能になる。我々は、「難しいことを易しく説明する人々」を指をくわえて待っているよりも、むしろ「分かった<つもり>になること」ができる説明、「分かり合えた<つもり>になること」ができるお友達を<選択>していくべきなのである

オレ達は物事が分かってるよなー、オレ達は分かり合っているよなー、といった世界は心地よいものかもしれませんが、私はそーゆー馴れ合いみたいなものに嫌悪感や危機感を覚えてしまうことがあります。ホントにそれでいいの?と。
ただ、人と人とが完全に分かり合えることは不可能に近いので、木村さんのおっしゃる通り「分かり合えた〈つもり〉になること」しかできないだろうなーとは思います。



「頭の良い人は難しい概念も簡単に説明できるはずだ」=難しい概念 - ポスト・ヒューマンの魔術師 はてなブックマーク


難しい概念が簡単になるまでの過程

 難しい概念が難しいまま提示された場合、我々は無知で無理解であることを気にし始めます。一方、難しい概念が単純化された時、我々は元々の難しい概念を到底理解できないという惨めな気持ちを忘れてしまいます。簡単に説明された概念を享受する皆さんは、複雑性が単純化される際の過程を見落とすのです。


 したがって、単純化され簡単に説明された概念に聞き耳を立てる皆さんは、元々難しかった概念が<如何にして>簡単に説明されたのかに注目しません。
 「難しい概念を理解できること」と「難しい概念を簡単に説明できること」では、難易度が違います。専門家としてプログラミング言語を熟知することと、素人にもパソコンを利用可能にすることとでは、違うのです。「難しい概念を理解できる頭の良い人」が、「難しい概念を簡単に説明できるほど頭が良い」とは限りません。

「複雑性が単純化される際の過程を見落と」さず、「元々難しかった概念が〈如何にして〉簡単に説明されたのかに注目」する人は居ます。
簡単への過程を見落とさず注目する人は、難しいことを易しく説明できる人を高く評価するでしょう。
また、自分には到底理解できない難しい概念が世の中に存在するのだ、ということを知っておくことは大事だと思います。難しい概念に触れて、惨めな思いをしたって一向に構いません。そして、難しくて理解できなかった惨めな思いを心の引き出しに置いておき、時々は引き出しを開けて思い出したほうが良いのです。自分には到底理解できない難しい概念が世の中に存在するのだ、ということを。



「簡単な説明」に受身の姿勢では駄目だ

 重要なのは、「簡単な説明」を要求することではありません。受身の姿勢では、「簡単な説明」に伴う難しさに直面してしまいます。たとえば「簡単な説明」を悪用する「頭の良い人」が現れてしまえば、無知な方々は操られるだけです。


 むしろ重要となるのは、無知であることを気にしないことです。所詮我々は無知なのですから、無知に対して知識で補うことにもまた、無知化が伴います。難しい概念を到底理解できないという惨めな気持ちを抱き続けていても、意味がありません。どうせ無知なんですから、無知であることを気にしないためには何が必要になるのか?それを考えましょう。たとえば、先ほど取り上げたパソコンについては、ユーザー・インターフェイス・デザインのお陰で、既に無知であることを気にせずに「利用」可能となっています。「理解」しなくとも「利用」できるということに、ヒントがあるのではないでしょうか?

無知を自覚することは大事ですが、無知であることを気にしないのはダメです。
無知であることに開き直ってしまったら、やがて蒙昧になります。
木村さんは無知蒙昧を増やしたいとお考えなのですか?



「ネガコメ」を批判する=「ネガコメ」というパラドクスの前に、「ネガコメ」拒絶者は何ができるのか? - ポスト・ヒューマンの魔術師 はてなブックマーク


 さて、ekken氏も言及している、悪口罵声・誹謗・中傷・侮辱・コピペを含意した「ネガコメ」はどうなるのだろう。ポジティヴィティとネガティヴィティが「地」と「図」の関係であると口煩く言うのだから、私はこの場合における「ネガコメ」にすら、肯定的な側面を指摘することができる(1)

なぜ、「罵声」の言葉に拙日記へのリンクが張ってあるのですか?
単なるキーワード・リンクですか?



無知社会へようこそ! - ポスト・ヒューマンの魔術師 はてなブックマーク


CloseToTheWallで書いたコメント

 はじめまして。私はMovable Typeのユーザーではてなの利用者ではないのですが、こうして盛んに議論が発展している状況に微笑ましく思いました。と言うのも、皆さんが仰るように無知を表明することで自称中道となり、それにより意見を提示しない方々が最近増えたのではないかと思っていたからです。

 とはいえ、私は無知を武器にやり過ごすこと自体は、否定しません。むしろ仕方が無い現象ではないかと思います。私が影響を受けている科学評論家にトール・ノーレットランダーシュがいるのですが、彼の調査(トール・ノーレットランダーシュ (著)、柴田裕之 (訳)『ユーザーイリュージョン--意識という幻想』紀伊國屋書店 (2002)、pp160-197)によれば、人間が閾下で無意識的に知覚している情報量は毎秒約1100万ビットであるに対して、閾上に上る情報量は精々毎秒40ビット足らずです。意識は、情報を並列的に処理することができません。瞬時に1100万ビットもの情報を受信すれば、意識はパンクします。ですから、閾下でフィルタリングされた情報だけを選択的に受信する訳です。

なぜ、「仕方が無い現象」の部分に拙記事へのリンクが張ってあるのですか?
「仕方が無い現象」と「バカのこと」は、どのように関連するのですか?




  • 疑問点まとめ
  1. ポスト・ヒューマンの魔術師の管理人:木村さんは、takoponsのことがお嫌いですか?
  2. 無知を知って謙虚になるならともかく、自分の無知を誇ってどうするんですか?
  3. 2つの記事に関連はないのに、なぜ木村さんは「バカのことのコメント欄」に「説明していたのかもしれない」とリンクを張られたのですか?
  4. takapons氏がこの理想を全く実現できていないこと」とは、具体的にどの部分でしょうか?
  5. 量子力学ニュートン力学も、どちらも難しい学問なのでは?
  6. 正しい・間違いの正否判断と、易しい・難しいの難易度は、評価基準が違うのでは?
  7. 何かを判断するには、その何かについて理解しておく必要があり、その理解への導入として「わかり易い説明がある」のでは?
  8. takoponsによる「短目でわかり易い説明」は分かりやすかったでしょうか?
  9. 妄想は、実現しないから「妄想」なのでは? 言葉の辞書的な意味がよく分かりませんでした。もしかして、辞書が違いますか?
  10. どうして木村さんは反応されたのですか? 他にやることがなくてヒマだったんですか?
  11. 無知であることに開き直ってしまったら、やがて蒙昧になります。 木村さんは無知蒙昧を増やしたいとお考えなのですか?
  12. なぜ、「罵声」の言葉に拙日記へのリンクが張ってあるのですか? 単なるキーワード・リンクですか?
  13. なぜ、「仕方が無い現象」の部分に拙記事へのリンクが張ってあるのですか? 「仕方が無い現象」と「バカのこと」は、どのように関連するのですか?
  14. 木村さんには、「知的な人として見られたい」という下心がおありなのですか?
  • トラバ送受信履歴

No. 送信日時 送信元→ →受信先
1 2008/06/06 17:15 「ネガコメ」を批判する=「ネガコメ」というパラドクスの前に、「ネガコメ」拒絶者は何ができるのか? - ポスト・ヒューマンの魔術師 2008-06-05 - takoponsの意味
2 2008/06/06 18:25 無知社会へようこそ! - ポスト・ヒューマンの魔術師 バカのこと - takoponsの意味
3 2008/06/07 08:12 takapons氏のスパルタ的な言葉遊びを超えて、無知な自分に誇りを持とう。 - ポスト・ヒューマンの魔術師 「知的な人」と思われたい、という下心ってあるよね? - takoponsの意味
4 2008/06/07 23:21 クレイモア - takoponsの意味 takapons氏のスパルタ的な言葉遊びを超えて、無知な自分に誇りを持とう。 - ポスト・ヒューマンの魔術師
5 2008/06/10 22:34 続・クレイモア - takoponsの意味 takapons氏のスパルタ的な言葉遊びを超えて、無知な自分に誇りを持とう。 - ポスト・ヒューマンの魔術師
6 2008/06/15 05:25 続々・クレイモア - takoponsの意味 takapons氏のスパルタ的な言葉遊びを超えて、無知な自分に誇りを持とう。 - ポスト・ヒューマンの魔術師