自分の意見を述べること
日本人は、なんとなく感想を言うことはできても、自分の意見を述べることは苦手である。
そして、自分の意見に対して他人から反論を受けることは、さらに苦手である。
- ある授業の風景
例えば、ある学校の授業で同和教育か何かの道徳的なVTRを見せられたとする。
VTRを観た後にお決まりなのが、教室にて1人づつ感想を述べていく儀式。
先生:「では、最初にAクン。」
A:「鈴木さん(主人公)が頑張っているところが良かったと思いました。」
先生:「次に、Bさん。」
B:「私は、鈴木さんが自分の障害に挫けず立ち向かって行く姿に感銘を受けました。」
先生:「はい。次、Cクン。」
C:「社会における障害者の受け入れ方、ここに問題の本質があると思います。 例えば、電車の座席には『優先席』というものがありますが、お年寄りや体の不自由な方(かた)にとっては、すべてが優先席だと思います。 通常の座席とは異なる『優先席』さえ用意しておけば済むだろう、社内アナウンスで乗客にお願いすればいいだろう、という免罪符的な考え方に僕は違和感を感じます。 以上です。」
先生:「うーん、なるほど。では、Dクン。」
D:「……Cクンと同じです。」
E:「ボクもCクンの考えと同じです。」
F:「あたしもCクンと同じです。」
以降、「Cに同意」のコメントが続く。
- 本当にそうか?
このクラスの生徒達の意見・感想は、本当に、生徒Cと同じだったのだろうか?
否。
ホントは特に意見も感想も持っていないのである。 ただ、Cが気の利いたコトを言ったものだから、「右に同じ」と付和雷同しただけなのだ。
- 日本人は、なんとなく感想を言うことはできても、自分の意見を述べることは苦手。
何かに対して意見を言うためには、その何かについての認識や解釈や理解や思考や判断などが伴わなければならない。
自分の意見を述べることは簡単ぢゃないけれど、読書を通じて、会話や議論を経て、他者の意見なり考えなりを消化して、自分の記憶と思考に取り入れることができれば、やがて「私の意見」が云えるようになる、といいね♪
そうした根拠や裏づけのある自分の意見は、きっと強い主張となるでしょう。
- ブログは、意見を述べる道具の1つ。
ブログに自分の意見を書くことで、発展する思考。 別に高尚で論理的な長文を書く必要はない。 思ったこと考えたことをサラッと書けばいい。
その自分の書いたエントリを自分で読み返すことで、新たな発見があるかもしれない。
もちろん、日記でもいい。 日記を綴ることで、何気ない生活の中に隠されたモノが見つかることだってあるのだから。
見えない何かが見えるようになる(かもしれない)ブログは、もしかしてもしかすると、超能力開発機構:ニュータイプ研究所なのだろうか!?
↑それは違うと思います。
- 参考
明日は明日の風が吹く - ノイズの発生源はどこか?
blog.8-p.info: Petit-creator isn't strong
F's Garage:僕が僕であるために