aozoraさんにお返事



さらに付け加えると、高校生とオトナの会話なのだから、もし仮に、S嬢さんが上から目線で(偉そうな)発言をしたとしても問題はないと思われる。
これには異論あり。私も高校生の親だが、たしかにオトナは高校生より年長であるし、年齢を重ねた分敬われるべき部分も多々ある。けれど、この場合のように、教授する関係でなく共通する一つの議題に付いて対等に論じ合っているシーンで目線が対等でなくなるオトナは子どもに信用されないと思う。ちょっと驚いたし。

  • 「ネットは対等」という理想

現実社会における地位とか名声とか権力とか、学歴や性別や出身などの属性は、ネット上では関係がない。 であるから、誰が言ったか?は問題ではなく、「何が語られたのか?」に注目すべきだ。 大事なのは、書かれた言説そのものであって、「それを書いたのは誰で、どういった人物なのか?」はさほど重要ではない。

というような考え方がネットには存在しています。

私も、その考えを否定しません。 否定しない、というよりも、できれば肯定したい気持ちもあります。

でも、それは単なる幻想なんぢゃないか?

  • 「ネットは対等」という幻想

パーソナリティな属性を排除し、書かれた記述内容のみで評価しようとする、いわば、「言説至上主義」の理想を追求すると、以下のコメントが書けなくなります。

  1. 若いのにしっかりした意見を持っていて、感心したよ。
  2. 若いクセに年寄りみたいなコトを言うんだねぇ、キミわ。
  3. まあまあ、彼はまだ若いんだから大目に見てあげようよ?
  4. サスガは年長者の言うことだけあって含蓄があるなあ。
  5. プロフィールを見ると 196X年生まれと書いてあったが、あまりに幼稚だ。

ネット上に公開されたエントリに対して意見を述べる際、評価基準に「年齢」を持ち込んではならない。 ということを厳格に守って実践すると、上記のようなコメントは書けませんね?

  • 理想と現実

筆者の社会的・個人的属性から離れて、書かれたテキストの内容のみで判断・評価しようと試みる姿勢は、確かに理想的で素晴らしいものです。

しかしながら、現実のメディアのチカラを見ると、その格付けは存在していて、それと似たようなものがネットにも波及していると思います。

NHK日経新聞」の対比としての「TBSと東スポ」。 これは、面白さは別にして、どちらが信頼度が高いか?についてです。 一見、「あやしいなあ。」と思えるニュースでも、NHKで流れるのと、ライブドア・ニュースに載るのとでは信憑性が違います。

  • 大学の偉い先生が発表してるんだから本当だろう。
  • アルファ・ブロガーが書いてるんだから本当だろう。

それはホントに正しいの?

……チョッチ、話が脱線してきました。 本題に戻ります。

  • 分をわきまえる謙虚さと秩序を破壊する強さのバランス

「ネットは対等だ!」という考えを拡大解釈して傍若無人に振舞う若者に対して、「少しは謙虚さを身に付けて欲しい。」と願うか、「やあ、若くて元気でうらやましいなあ。」と思うか。

あらゆる罵倒や意味不明な言動が、「彼は若いから。」という理由で許され、「若いんだからしょーないネ。」でスルーされるのは、若い彼にとっても不幸なことだと私は思います。 そんな彼には、「実は、自分自身の若さに助けられているだけなんだよ。」ということを認識してもらいたいデス。

一方、「私は社長だ!」という現実の属性をネットにそのまま持ち込んで、偉そうな言動をしたら、そのカンチガイ社長は叩かれて会社の信用まで失うかもしれない。 でも、それは構わない。 自業自得だろうから。

  • まとめ

終わらなくなってきたので強引に終わらせたくたく、まとめます。

ネット上で信頼を得るのは、書かれた言葉そのものだけれど、筆者の(現実的な)立場や背景、そして、それまでに綴られてきた過去ログの蓄積による影響も大きいと思います。

言葉だけが頼りのネットだけど、言葉の補足として自分のプライベートを語ることによって理解が深まることもある。 自分語りも言葉であることに変わりはないのですが。

信用を得るのも、信頼を失うのも、言葉ひとつ。

それが、ネット。

  • 関連記事

他人の不幸は蜜の味: webのフラットさが生む「教えて君」
あんたジャージでどこ行くの: 「そういう人」がいないから、「そういう人」になろうかと思う