それは誤解なのか?

大小関係で見ている人は、モヒカン宣言糸井重里メソッドのキーワード解説をよく読まずに誤解して発言している印象が有ります。
モヒカン族 - 「モヒカン族」に関する言及

最近また、モヒカン族に関する話を読む機会が増えてきたのだけど、どうもやっぱり理解されていない気がします。
越後屋娯楽堂 - いまさらモヒカン族

うーん、それは本当に「誤解」なのかな? 誤った解釈をしてしまう人達が存在する、ということは、発信者の表現力が不足しているのかもしれないし、読み手の読解力に問題があるのかもしれない。

  • 書き手と読み手

発信者の表現力不足の可能性に関しては、モヒカン族を誤解していると思われる発言に対して、「それは誤解ですよ。」と指摘することによって、ある程度は解消できると思われる。

読み手の読解力不足の可能性については、「それは誤解ですよ。」との指摘がさらなる誤解・曲解を生んでしまう危険もあるので難しい。 しかし、モヒカン族なら気にせず「その認識は間違ってますよ。」と指摘するのだろう。

  • 「分かりません。」が言えない文化

ある文章を読んで、よく分からなかった場合、率直に「意味が分からない。」と言うのがモヒカン族的な行動で、正直に「分かりません。」と言ったら相手にバカにされるかもしれないから分かったつもりで発言し、知ったか誤解してるのがバレてしまうのがムラビト的なのかな?

  • 自尊心と自己保身

読者の誤解を筆者の意図に近づける作業は大切だけど、自分に都合の良い具合に解釈したがる人達というのは居て、さらに厄介なことに、自分の間違いは(誤字・脱字も)認めたがらないものだから、そこから拒絶が始まる。

それでも理解してもらおうと考えたら、まずは友達や味方になって、とにかく、「敵ではない」ことをアピールし、指摘を受け入れてくれる土壌を築く必要がある。 つまり、糸井重里メソッド。

日本人の多くは、「自分の自尊心を傷つけずにサラッと指摘してくれる」ことを相手に期待しがちだが、それは過剰な期待であり高等テクニックだってことを知っておいたほうがいい。 だから、余計なイヤミの言葉はひと言も添えず、必要最小限の指摘だけに抑えてコメントするモヒカン族をもっと高く評価すべきだ!

しかし、真のモヒカン族の思考パターンを予想してみると、彼らは「自分達の言動をもっと高く評価して欲しい」などとは考えていないと思われる。 周囲からどう評価されようが、気にせず殺伐を貫き通すのみであろう。

  • 母性原理と父性原理

文化庁長官 河合隼雄氏 講演要旨
母性原理と父性原理の話は、ムラ社会モヒカン族の対比にも少し似ているなあ、と思いました。
takoponsの意味 - 著作者不明の著作物に関する権利