edo13thさんにお返事
多くの人たちにとっては「ブログをやっていること」は、ある種のステイタスであり、それ以上の価値を持たないと思う。
「右に同じ」というスタイルは、破綻することが少ない。必要以上に炎上する可能性を避ける上では合理的だろう。
男:「オレ、『ブログ』をやってるんだぜ?」
女:「キャー、ステキー!あたしと同棲して!!」
男:「女の子にモテなくて悩んでいる男子諸君。 君も『ブログ』を始めてみないか? ナウなヤングにバカウケ間違いなしだぜ。」
(『ブログ』の部分は、「バンド」や「株取引」,「なんちゃら2.0」や「バカボン教」などにも置き換え可能。)
……冗談はさておき、私(takopons)は、自分のブログにステータス性を求めていないし、感じてもいない。
ただ単に、言いたいコト、書きたいコト、特定の誰かに伝えたいコトがあるから、こうして駄文を晒している。
- 右に倣え問題
何かを始める時、最初は模倣で良いと思う。 初めは模倣しかできないだろう。 でも、それで構わないし、それが自然な姿だと思う。
昔のバンドブームの頃、巷にはBOØWYのコピー・バンドが溢れていた。 狭いライブ・ハウス(地下)で、お世辞にも上手いとは言えないB・BLUEが演奏されていた劣化コピー。
YouTube - Kyosuke Himuro - B Blue (04' live official PV)
今、ブログには、全文転載記事やら、大半が引用文で最後にひと言「同意」だけのエントリが少なくない。 それでも、ブログをやっていると言えるのだろうか? 言えるのかもしれない、本人がそう信じていれば。
- 小さな子供を見ていると
実は、子供の絵は、型にはまっていると思うな。
大人と違って、形を観察しないからね。
類型で描こうとするよ、むしろ。
ただ、下手だから結果として独創的になったりするけどね。
観察するとしたら、隣の子の絵だけ。
較べないどころか、堂々とまねするよ(笑)
これは、その通りだと思う。 幼児は、模倣する生き物。 だから、身近に接する大人達は模倣されるに相応しい態度を示す必要がある。 子供は、大人が想像している以上にオトナの姿を見ている。 子供の幼い瞳は、まるで、オトナの心の奥まで覗いているように思える。
- 事始め
初めのウチは模倣で良いだろう。 最初は、サルマネでもいい。 そうやって、他人の作品をたくさん吸収してくれればいい。*1
その後、少しずつ、自分の意見を述べるようになって欲しい。*2
- 結論
- 初めは「右に同じ」でもいいけれど、いつまでもソレを繰り返してちゃダメでしょ。 少しは成長を見せてくれ。
- 成長というのは、他人に対して示す成長だけぢゃなくて、自分の中で実感できる成長でなければ意味がない。
- 他人に示すための「成長のポーズ」なんて求めちゃいない。
- 自分の中で実感できてさえいれば、他人に示す必要はない。
- 示す必要はないが、本当に成長しているのなら、自分の中から沸き出、にじみ出てくるモノがあるハズ。 私はそれを見てみたい。
かく言う自分自身は成長しているのだろうか? あんまり自信はない。
右に倣え問題が、成長論にテーマが変わってきたので以上。
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