中田ヒデ選手、「日本語」について語る。

2005年10月8日に行われた日本 vs ラトビア戦にて、試合後の中田英寿選手へのインタビューが話題となった。

まず初めに、このエントリ↓を読んでください。
彼がすべて悪いわけではない:アナウンサー泣かせの中田英寿、奴に勝つためには(笑)

次に、nakata.net:2005-10-10 日本語の文化
と、KET SEE BLOG: ラトビア戦ヒデインタビュー

そして最後に、この記事↓へ。
彼がすべて悪いわけではない ほらねー、中田英寿が言ったことと僕の言ったことは、ほぼ一緒でしょ?

  • 日本語の曖昧さ

又三良さんの推察が見事に的中してるのはサスガです。 でも、この「日本語による表現の曖昧さ」を不満に思うことは、誰かと本気で議論や会話を交わした経験があれば考える問題でしょう。 日本人の「察する」文化に対して、邪魔だと感じたことはあるハズです。 ないのかな? いや、1度は考えたコトあるでしょ? あるよね? だから "Yes." と言って!

  • 日本人なら

それでも、「日本人なら相手の心情を察しろ!」と要求されてしまう。 それが今回、中田ヒデ選手に送られたらしい、「“不快”、“マスコミを馬鹿にしている”、“大人になれ”等々いろんなMail」に表れている。 批判のメールを送った彼らは、外国人選手に対してそんなコト言わないよね? 相手が日本人だから安心して文句が言える、という面もあると思った。
「日本人なら察しろ!」 「ニュータイプなら感じてみろ!」と、シャア大佐に言われそう。

  • 察する心

古き良き日本人の持つ「内省的な面」と「察する心」が、議論――特に、文字での遣り取り――を難しくしている、のかも?
ぽんすブログ: 議論とは、相互理解である。

日本人特有の「察する心」が「分かったつもり」を誘発し、相互理解を妨げる。

  • 分かったつもり

Passion For The Future : わかったつもり 読解力がつかない本当の原因