象徴天皇のこと

NHKスペシャル|象徴天皇 素顔の記録を観て思ったことなどを「昭和の日」に書く。
歴史認識の間違いや事実誤認などが有ったらご指摘ください)

  • ココロとカラダ

人間にはココロとカラダがあって、カラダ=肉体の維持=衣食住には政治・経済が関係する。お腹がすいた時に空腹を満たしてくれるのはパン(食べ物)であり、パンを得るにはカネが必要。
では、ココロを満たしてくれるのは何でしょう? 仕事だろうか、読書だろうか、音楽だろうか、絵画だろうか、思想・宗教だろうか、誰かに必要とされている実感だろうか。人によって満足を感じるものは違う。預金通帳の残高(カネ)だけがココロを満たしてくれるのだ、という人も居るだろうね。
いま、日本人のココロは乾いている、と僕は思う。乾いている日本人のココロを少しでも潤そうとしているのが象徴天皇(平成天皇)なのだろうなあ、と番組を観ながら思った。

もし、イラク戦争中にサダム・フセインが「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び……」と降伏を宣言し戦争終結したと仮定して、果たして、今なお続くテロは収まっていただろうか?と考えると、否だと思う。フセインの降伏宣言は多くのイラク人には届いても、一部のイスラム原理主義者(過激派)のココロには届かないだろう。イスラム原理主義者たちにとって、イスラム教典コーランフセインの言葉(フセインの存在)よりも重いものだと思うから。

1945年(昭和20年)当時の日本人にとって、8月15日の玉音放送は重いものだった。玉音放送後、アメリカ軍に対するテロ行為は少しはあったかもしれないが、原爆を2つも落とされ、玉音放送の響き渡った日本ではアメリカに抵抗する気力も体力も残ってはいなかっただろう。

  • 沖縄訪問時の火炎瓶事件

皇太子(現・平成天皇)が初めて沖縄を訪問された時、皇太子に向かって火炎瓶を投げつけた青年を見て、「投げる相手が違うだろ?」と思った。火炎瓶はアメリカ大使館に投げ込むべきだったのではないか? もしくは、自衛隊(陸軍)関連施設に投げれば良かったのに。
とは言え、内省的な日本人は、外ではなく内を責めがちだから、内側の象徴である天皇家(の皇太子)を攻撃対象としたのかもしれない。

  • 2001年12月1日

愛子さまが誕生した平成13年12月1日、街頭では祝いの提灯が配られ、僕はその提灯を持って熊本の街をうろついていた。夜、友人夫妻と行ったカレー屋(ココイチ)にて、店から出る際に僕の右手に下げていた提灯を見た(隣のボックス席の)ご婦人がその提灯の意味に気づき、僕に微笑みかけた。僕は黙って会釈をして店を出た。
その時に思った。
「ああ、ここは日本だな。日本人なんだなあ」と。

  • 最後に

日本人のココロの中に象徴天皇は存在していて、それは日本人の間で共有されている、と僕は思う。その日本人のココロの中に在る象徴天皇のイメージにどう応えるか?といったことも平成天皇の課題というか宿命なんだろうなー。
重たい宿命だよね。