「人」を殺してはいけません

「人」を殺してはいけません、という言葉(規則・ルール)は正しい。ただし、「人」の定義や範囲は人間(または時代背景や社会情勢など)によって変わる、という前提においてだ。
ユーとミーの考える「人」の定義は違うかもしれない。
例えば、地球規模で考えて「人」の定義を地球人としたならば、地球人が地球人を殺すのはよろしくないことになる。
しかし、国家や民族・部族単位で見た場合、殺していけないのは自国民や自民族・自部族だけ。他国・異国の人間は、殺してはいけない「人」の範疇に入らないことがある。
もちろん、法治国家が自国民を殺された場合は自国の法に基づいて、犯人である他国の人間を放置することはないだろう。たぶん。
ここで誤解のないように一応書いておくと、私は別に「異邦人は殺して良い」と言いたいワケではない。「人を殺してはいけません」と言った時の「人」の定義は、より身近な人間(=同族)であるという暗黙の了解があるよね?という話をしているつもり。

  • となり町戦争

殺してはいけない、とされる「人」の範囲をだんだん狭めていったら、自国民→同州人→同都道府県民→同市民→同町民→同村民→隣人→家族となって最後には自分に行き着き、自身を殺したら「自殺」となる。
また、殺してはいけないとされる「人」の範囲は場所や地域に限定されるものではなく、思想・宗教の違いによってもスコープは変わるし、人種・肌の色によっても「人」の範囲は変わりうる。

  • 人の心は移ろいやすいもの

普段は「殺人は悪だ。世界人類が平和でありますように」と願って暮らしているような人でも、ひとたび争いが起きた途端、つい「カッ」となって同僚を殺してしまうことだってある。犯行時には「人を殺してはいけない」というルールが一瞬で消え去ってしまう。

これが国家間の戦争となると、"Kill JAP!" とか「鬼畜米英」とか叫んぢゃって、もはや相手のことを自分達と同じ人間だと認識できなくなってしまう。相手を人間だと思っていないから、広島と長崎に原爆を2個も落とせたりする。「人を殺してはいけません」というルールは自国民にのみ適用される。まあしかし、アメリカでは自国民同士が毎日、銃の撃ち合い殺し合いをしているようだが。

  • まとめ

「人」を殺してはいけません、というルールは正しい。ただし、「人」に条件アリ。