続・ハケンの人格

ハケンの人格 - takoponsの意味 はてなブックマーク


「なせ人を殺してはいけないのか」という問いについての私の考えは以下のとおりです。
http://d.hatena.ne.jp/trivial/20060226/1140943674
はあちゅう氏の意見とやや似通ったところはあるかもしれませんが、問答無用で切り捨てているのではなく、いちおう、なぜこの問いに答えられないのかを説明しているつもりです(高校生が納得するかどうかはわかりませんが)。


殺人は「してはいけないこと」のカテゴリーに属する一つの事例だが、同時にこのカテゴリーを成り立たせる根拠でもある。極端な言い方をすれば「殺人≒してはいけないこと」だ。
〜 中略 〜
しかし、殺人を一旦「してはいけないこと」のカテゴリーから取り出したうえで、他の規準と照らし合わせてみて殺人を再度そのカテゴリーに含めることができるのかどうかという思考実験を行うには、殺人は「してはいけないこと」と密接に絡みすぎている。

なぜ、殺人は「してはいけないこと」と密接に絡んでいるのですか?

と質問しようかなーと思ったけど、


さらに問いを続けるとすれば「なぜ、われわれの規範において『してはいけないこと』の典型が殺人であるのか」と問うことは可能かもしれないが、そのような問いにはあまり興味がないので、これ以上は続けない。

「そのような問いにはあまり興味がない」そうなので終了。



「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いそのものにはあまり興味はないのだが、いちおう私見を述べておく。

「そのような問いにはあまり興味がない」「問いそのものにはあまり興味はない」という物言いは、突っ込まれたり質問されたりした場合の逃げ道なのかな?
興味が無いのなら黙っておけばいいに。



「生きるということは手段ではない」を書いたとき、私は「なんのために生きるのか?」という問いに関わっていることになるのは、分かっています。ですから、そこに「張り紙禁止の張り紙」のような自己撞着が生じることを懸念して、この問いに対する関わり方について註釈を入れておきました。
http://d.hatena.ne.jp/trivial/20090109#20090109fn4
これで矛盾は回避できていると思いますが、いかがでしょう?


「なんのために生きるのか、って? そりゃ、『なんのために生きるのか』なんていう馬鹿馬鹿しい問いから逃れるためにさ」で済むだろう。実際、さまざな目的や手段をちゃんぽんにして生きている人々は「なんのために生きるのか?」などという問いには関わらないものだ。
知的遊戯として検討することはあっても、自らの人生の問題としては関わらない、ということ。

知的遊戯として検討することはあっても、ツッコミを入れられた場合に備えて「そのような問いにはあまり興味がない」と逃げを用意しておくような相手(=id:trivial)に「人の生き死に」について問おうとしたことが間違ってました。(ここで、都合が悪くなった途端に逃げるのはダメだ、と言いたいワケではないので注意)

「なんのために生きるのか?」という問いは人生の問題だと思うし、派遣村に集う人々は文字通り死活問題の渦中に居る方々だと思います。

私は、「生きること」から逃げるのも・逃がすのも、時と場合によってはアリだと思ってます。id:trivialが「そのような問いにはあまり興味がない」って逃げるのと同じように。