タブーを破ること
なぜ自殺をしてはいけないか? - ハックルベリーに会いに行く
なぜ自殺をしてはいけないかというと、自分の命は自分のものではないからだ。自分の命は借りものなのだ。ここを勘違いしている人が多いけれど、自分の命はこの世界から借りているものなのだ。自分の生きている時間は、この世界から借りているものなのだ。だから、自殺というのは「殺人」に他ならないのである。他殺なのだ。
「だから」の前と後がつながってないなーと思った。
例えば、
自分の命は借りものなのだ。借りたものは返さなくてはならない。だから今すぐ返すのである。イエス・キリストも「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と語られた。*1
↑という「だから」もアリでしょ。
「自分の命は借りもの」だとすると、「俺は借りた覚えがない。だから返す」または「借りたものは返さなければならない。だから返す」という理由で自殺する人のことまでは止められないよね?
aurelianoさんに問う。なぜ自殺をしてはいけないの?
- タブーを破ること
「自殺してはいけない」「自殺は良くない」「自殺はタブーだ」といった考え方は世間一般のものだと思う。*2
自殺企図の有る人は、「自分は自殺という悪いことをしようとしている」「俺はタブーを破ろうとしている」というような自覚が有ると思う。こうした、「自殺はやってはいけないことだ」という意識が自殺を思い留まらせている部分はあるだろう。
しかし、本気で自殺を決意した人の中には、「俺は自殺というタブーを破る。どうせ破るなら最期に大暴れしてやろう。もうどうにでもな〜れ!」と自暴自棄になって無差別殺人事件を起こしてしまう人がいるのではないか?
「自殺をしてはいけない」という言葉(概念・価値観・禁忌)に縛られていた人が、ひとたび自殺を決意すると、呪縛から解放されてメチャクチャなことをやってしまうのではないだろうか?
つまり、タブーを設定することが逆に重大事件を発生させる原因の一つになってしまっているのではないか?ってこと。
とは言うものの、自死念慮のある人に対して「死にたい人は自殺してもいいんだよ。でも自殺する時は独りでひっそり死んでね。巻き添えはイヤだから」と自殺を促してあげるのが正しい対応とは思えない。
「僕はまだ生きていたい。生きていても良いんだ」と思ってもらえるような対応が理想。
絶望を希望に変えるのが難しい世の中ではあるけれど。