続々・ブログとネガコメ

続・ブログとネガコメ - takoponsの意味 - 明日は明日の風が吹く はてなブックマーク


私のコメントが批判とネガコメを一緒にした書き方をしていたから、意味がおかしくなってしまってたようで……ごめんなさい。

 私は、批判は甘んじて受ける、ネガコメはスルーという事が基本の考え方。批判や意見に対して返事をするかしないかという事よりも更に下のレベルにネガコメは置いている。

僕もネガコメの定義が曖昧でしたね、すみません。

簡単のため、大雑把に2つに分けます。細かい分類は→ネガコメのしきい値←こちら。

  1. 論理的ネガコメ:「その理屈はおかしい。なぜなら、○○だからだ」
  2. 罵倒的ネガコメ:「これはひどい」「死ね」等(否定の理由は不明)

yas-toroさんの定義するネガコメは「罵倒的ネガコメ」ですね。yas-toroさんは批判や意見などの「論理的ネガコメ」には対応することがあるけど、「罵倒的ネガコメ」はスルーしますよ、と。
罵倒を受けてもスルーできるのであれば、スルーが良いと思います。「罵倒の言葉をスルーできる」のなら、スルーが最善策です。



もし、その場に居合わせた誰もが、毒を食べなかったとしたら?
その毒は、毒を吐いた本人に返ってゆく、かもね。

他人に酷い言葉を投げて罵倒したつもりだったけれど、その中傷が相手に全く通用しなかった時に露呈されるもの。自分の吐いた毒を相手が食べなかったら、その毒は自分に返ってきてしまう。自分の言葉の価値を自分自身で汚す、まさに自業自得でしょう。

罵倒をスルーした時、罵倒の言葉はネガコメ者へ返る。という話。




もしかしてyas-toroさんは、「ただ単に凹むだけのネガコメ(≒中傷)を受けても黙って耐えろ。泣き寝入りしろ」と言ってますか?
いいえ、全く。「私は」スルーしますよ、という事で。同じようにスルーを選択する人もいるだろうし、戦う人もいるだろうし、そのどちらが正しいかとかこうすべきだとか全くそんな事は考えてないし、人それぞれだと私は思う。私は「相手をしない」事を選択してるけれど、それが泣き寝入りとも思っていないので。

了解しました。




なぜ、takoponsは「ネガコメ者への質問」について書くのか?

根拠の乏しい言説で相手を非難する人(ネガコメ者)は何を望んでいるのか?を想像してみるに、自分のネガコメによって相手が傷つくことを望んでいるんだろうなーと思います。
ネガコメを浴びせた相手がしょんぼりして「酷いことを言われて落ち込んだ」「心ないひと言で傷ついた」と弱っている様子を見て喜ぶんだろうなー、と思うのです。
つまり、ブログ主からの「ネガコメに凹んだ」や「ネガコメ酷いよ嫌だよ怖いよーっ!」といった表明は、ネガコメ者にとって望ましい反応なワケです。

  • では逆に、ネガコメ者にとって望ましくない反応は何か?

「スルーされる」または「質問される」こと。


罵倒的ネガコメを受けても泣き寝入りせず、ネガコメを発した相手に直接「なぜ?」と問いかけてみれば、質問の光を浴びせられたオバケのほうが逃げ出すだろう


罵倒的ネガコメ者はスルーが一番だと思うのですが、スルーだと「俺は反論されないのだ」「俺は強い偉い」とカンチガイするかもしれないので、罵倒的ネガコメ者の発言に対して「なぜ?どうして?」と疑問を投げかけることによって彼らの発言内容をクローズアップし、彼らの吐いた言葉に彼ら自身を向き合わせてみると、オバケの正体が分かるかもしれません。

根拠の乏しい言説で相手を非難する人(ネガコメ者)にとって困ること、それは、「スルーされる」または「質問される」こと。
ネガコメ者に対して感情的に反発するのではなく、淡々と冷静に質問すれば、そのネガコメ者は近寄って来なくなるだろうと思います。(たぶん)