続・無神論のこと

  • はじめに

私のはてなIDは、takoponsです。たこぽんす。

修辞的疑問と、論法の誠実さ - *minx* [macska dot org in exile] はてなブックマーク



私は直前のコメントで、『1つ、確認させてください。macskaさんは、「takoponsは不誠実で失礼な人間である」ということにしておきたいのでしょうか?』と質問しました。この質問に対するmacskaさんからの回答を待って、その後の議論に応じようとしていた可能性は考えられなかったのでしょうか?
そうした可能性は考えられませんでした。わたしは、あなたの論法が不誠実だと言っているのに、「いや、自分は自分なりに誠実に議論をしているつもりで、不誠実なつもりはない」と弁解もせずに、「あなたはそういうことにしておきたいのですか?」と聞かれても、その質問を文字通りに受け取るのは不可能です。

「あなたは不誠実だ」「いや、私は誠実だ」といった遣り取りは意味がない、と私は思っているので、「いや、私は不誠実なつもりはない」との弁解はしませんでした。

  1. 誠実さの基準は個々人によって異なる。
  2. 誠実かどうか?の判断には主観が作用しがち。
  3. 「私は誠実だ」と主張(または反論)した途端、たちまち誠実な人間になれるワケぢゃない。
  4. テーマによって許容の幅はあるものの、議論にはある程度の真面目さがあったほうが望ましいとは思う。が、議論の相手が誠実かどうか?を気にして、相手の不誠実を問題にしてしまったら議論は続かない。
  5. 不誠実な相手と議論などしたくないだろうし、「あなたは不誠実だ」と言われた側も常に誠実さをアピールしながら議論するのは疲れるだろう。

↑上に挙げた理由により、「あなたは不誠実だ」「いや、私は誠実だ」「俺だって誠実だ」「俺も誠実だ」「俺も」「俺も」「ぢゃあ、俺も」「どーぞどーぞ」といった遣り取りには意味がないと考えます。



どうしてそれが不可能なのか説明しましょう。わたしが「あなたの論法は不誠実だ」と言うとき、それは (1) わたしが本当にあなたの論法を不誠実だと思っている、(2) わたしは本心ではあなたの論法が不誠実だとは思わないけれども、あなたが不誠実であるということにしておきたいと思っている、の二つの可能性が論理的にあります。しかし、もしわたしの本心が(2)であるなら、「あなたの本心は(2)ですか?」と聞くのは無意味です。もしわたしの本心が実は(2)だったとしても、「いやわたしの本心は(1)だ」と答えるに決まっているわけですからね。
つまり、あなたの「質問」に対する答えは論理的に一つしかありえず、そのことはあなたにも容易に想像可能です。

macskaさんのおっしゃる通りです。答えは (1) しかないでしょう。



どちらにしても答えが一つしかありえない質問をあえてするときは、それは相手の回答を求めて質問をしているのではなく、質問という形式を取りつつ、何らかの主張や意志を表現しようとしていると解釈するのが普通です。こうした表現方法は、「修辞的疑問」と呼ばれます。わたしは、あなたの「質問」は修辞的疑問であると解釈したのです。

修辞的疑問とは、自分の意見を強めるために疑問文を使うこと、です。←この定義は合ってますか?(確認)*1

ここで、もう一度私の質問を引用します↓


1つ、確認させてください。
macskaさんは、「takoponsは不誠実で失礼な人間である」ということにしておきたいのでしょうか?

↑上の「takoponsは不誠実で失礼な人間である」の部分は、


あのですね、あなたは「幻想」とか「信頼」とかいう言葉を、貨幣について言うときと、神について言う時で、違った定義で使っているのに気がついていませんか? それが同じ意味であるかのようなふりをするのは不誠実ですよ。
 だいたい、「お金さえあればどんな困難も克服できる」とか、「金は確実に信頼できる」とか、よほどの変人以外は世界中の誰も賛成しないような極端な思想を持ち出して、勝手に「あなたはそう思っているのではないか」なんて、まったく失礼な話です。

↑このmacskaさんのコメントから抽出しています。(太字はtakoponsによる加工)

「takoponsは不誠実で失礼な人間である」の部分は、macskaさんのご意見を私が代弁する形で復唱しているので、修辞的疑問には該当しないと思います。「あなたは不誠実です」「まったく失礼な話です」とおっしゃっていたのはmacskaさんであって、私ではないのですから。



さて、あらためて「修辞的疑問ではなかった可能性は考えられないか」と聞かれて考え直してみると、もう一つだけ別の可能性もあったように思えてきました。それは、ただ単にあなたが表現が下手あるいは論理に弱いために、意図せず「修辞的疑問にしか読めない質問」をあなたが書いてしまった可能性です。

takoponsの文章表現がヘタ、または論理に弱いがために、「修辞的疑問にしか読めない質問」とmacskaさんは解釈なさったのですね。別の可能性として。
これは私のチカラ不足が問題なのでしょう。



その当時はその可能性は考えませんでしたが(というか思いつきませんでしたが)、本人が「ただ質問への回答が欲しかっただけだ」と言うのであれば、それを信じましょう。これまでの議論を一度リセットして、takaponsさんの今回のエントリから再開させてください。(とはいえ今後は、そのような質問は修辞的疑問とみなされることに注意を払って文章を書いてくださいね。)

>注意を払って文章を書いてくださいね。

分かりました。

ところで、修辞的疑問を修辞的疑問として使用するのは問題ないですよね? ←なぜ、このような確認をするかと言うと、macskaさんは、ある疑問文を修辞的疑問であると解釈されたら、その時点で「これは修辞的疑問だNGだ不誠実だ」との反応をなさるお方なのではなかろうか?とちょっと思ったからです。
いや、もちろん違うなら「違う」とおっしゃってください。私は「違う」と思いたいです。
違うとは思いますが、もし万一、macskaさんが「修辞的疑問はNGだ」とお考えなら、「今後、id:macskaとの議論において修辞的疑問を用いることは禁止とする」と宣言なさったほうがよろしいかと存じます。
念のため繰り返しますが、私は「違う」と思いたいです。

  • 修辞的疑問のこと

修辞的疑問の話になっているので、議論の中身(無神論)は次回として、ここでは修辞的疑問について続けます。



「○○という意味ではないのですか?」と質問されたら、Yes/Noで回答すれば済む話でしょう。
ある事柄についての認識を一致・共有する場合、別の表現に置き換えて「それは○○という意味ですか?」と確認するのは、誤解を減らすための誠実な行為だと私は思います。
とtakaponsさんが書いているのを読んで、takaponsさんが修辞的疑問をしている自覚はなかったというのは本当かもしれないな、と変に納得してしまいました。なぜならtakaponsさんは、いいちこさんが使っているレトリックが修辞的疑問であることに気付かないくらいですから。

いいちこさんが使っているレトリックが修辞的疑問である」かどうか?は、いいちこさん本人に確認されたほうが良いと思います。いいちこさんは自覚なく修辞的疑問を使ったのかもしれないし、意図して使ったのかもしれませんので。
私は、いいちこさんの当該コメントは「互いの認識のすり合わせ」だと解釈しています。私の解釈が正しいかどうか? その真実を知っているのは、いいちこさんだけでしょう。



上で説明していますが、修辞的疑問というのは、疑問文の形式を取りながら、何か言いたいことを強く言う表現方法です。たとえば「あんたバカぁ?」という発言があったとして、それを「あなたは馬鹿なのですか、イエスかノーで答えてください」という真摯な質問だと解釈をする人はほとんどいません。そんなことを言われれば、ほとんどの人は「あなたは馬鹿だ」と言われているのだ、と思うでしょう(でも実はツンデレで、ほんとうは僕のことが好きなんだ、という裏読みは別とします)。

「あんたバカぁ?」と言われたら、通常は「あなたは馬鹿だ、と言われた」と解釈するでしょう。
ですが、
「○○という意味ではないのですか?」と言われて、「○○という意味だ、○○以外の意味は認めない」と解釈するのは少し無理があると思います。


余談ですが、「あんたバカぁ?」と言われて、「ノー。私は馬鹿ではない」と返すのは賢い返事ぢゃないと思います。第三者が「彼は馬鹿ではない」と否定するのはアリですけど、言われた当人が「俺はバカぢゃない」と否定しても説得力はないと思うので。関連→続・バカのこと



takaponsさんの「〜ということにしておきたいのでしょうか?」も、いいちこさんの「〜という意味ではないのですか?」というのも、わたしは「〜ということにしておきたいのだろう」「〜という意味なのだろう」という修辞的疑問として解釈しました。修辞的疑問は、一見丁寧な表現のなかに敵意や恣意的な断定を潜り込ませることができる強力なレトリックなので、そういう意図がないのであれば誤読されないように注意するべきではないですか。(修辞的疑問)

「修辞的疑問は、一見丁寧な表現のなかに敵意や恣意的な断定を潜り込ませることができる強力なレトリック」だとするならば、例えば、Aさんが意識合わせのために「○○は△△という意味ではないのですか?」との疑問文を用いた場合であっても、macskaさんが「この疑問文は修辞的疑問であり、敵意や恣意的な断定が潜り込んでいる可能性がある」「○○はダメで、Aの言う△△こそが正しい、とAは断言しているに違いない」と解釈なさって、「Aさんの発言は不誠実です」となってしまうのでしょうか? Aさんに敵意がなかったとしても?

修辞的疑問には恣意的な断定が含まれている、と私も思います。しかし、修辞的疑問から敵意――質問者の心の中に本当に発生したのかどうか分からない敵意――を感じ取って、「修辞的疑問だ不誠実だ」と指摘していたら、議論は進まないですよ。それこそ、「当ブログでは修辞的疑問を禁ずる」と事前に宣言しておくことをオススメします。(macskaさんが修辞的疑問に敵意を感じないのであれば、この宣言は全く不要です。)

議論における遣り取りの中で修辞的疑問が使われ、恣意的な断定が行われた場合、それが反論できるのであれば反論すれば良いと思います。修辞的疑問それ自体を非難するのではなく、断定された部分に対して否定なり反論なりすれば良いでしょう(可能であれば)。

*1:修辞的疑問は、要点を強調するために用いる場合もある。