カビの生えたこと
- これまでの経緯
- 管理の問題ですね、わかります - プログラマーの脳みそ
[ネット][web]”公表された言論に対しては批判の対象となる、という単純なルールがある”ちょいちょい見かける意見だけど、その根拠を聞いたことはない。仮にそうだとしても、ネットが一般化した今においてはカビが生えたルール。
- ドジっ子Watcher 無断言及禁止とかいう人は著作権法を100万回くらい読み直せ
- ドジっ子Watcher 「公表された言論に対しては批判の対象となる」はカビが生えたルールか?
- ドジっ子Watcher 「公表された言論に対しては批判の対象となる」について考える
今回のカビが生えたルール話の前段として別の話題(流れ)があるけど、それは置く。*1
〜 コメント欄での遣り取りの続き 〜
・たこぽんさんあまりこういう事は書きたくないんですけど、たこぽんさんに対して先に指摘しておく事があります。
まずひとつ、発言内容とその発言者個人の行動を混同している。次にふたつ、「どうあるのがよろしいか」という問題と実行上の問題を混同している。そしてみっつ、巨視的な問題と微視的な問題を混同している。それをふまえた上で。
ragがどうする云々という話は、ものすごくどうでもいい話です。消費を促すべきと主張した経済学者自身が倹約家であっても、患者に摂生を求める医者自身が不摂生な生活を送っていたとしても、その行動が発言内容の正否に影響するわけではありません。信頼性や説得力の問題はありますが、それは単にパフォーマンスの問題です。
それでも今回は一応答えてはおきますが。
まず「表現の自由」「言論の自由」の話について。「表現の自由」「言論の自由」「批判するrag」「批判拒否するtakoponsさん」という条件があったとして、その場合『ragは「表現の自由」「言論の自由」を掲げて、takoponsさんへ批判行為を正当化すべきではない』という結論になります。この条件でいえることはそれ以上でもそれ以下でもありません。次に『効用の主体であるサイト主自身が批判を受け入れることに価値を見出しているかどうかを事前に確認してから、批判OKの場合のみ批判するのですね?』について。完全に、「どうあるのがよろしいか」という問題と実行上の問題を混同しています。さらに、巨視的な問題と微視的な問題を混同しています。
実行上、「事前に確認してから、批判OKの場合のみ批判する」というのはある種理想的ではありますが、それを全ユーザーがまっとうするというのは現状コスト面から考えても無理だと思いますし、自分自身にとってもそれは同様です。そもそも、「事前に確認してから、批判OKの場合のみ批判する」という手段だけが唯一の手段ではありませんし、「効用の主体であるサイト主自身が批判を受け入れることに価値を見出している場合、そのサイトに対する批判行為はOK」という方向性を、どの程度のレベルで実行するかについては述べていません。述べるとするならば、実際にはWEBサイトのタイプや、コンテンツや、書かれている内容から判断する事になると思います。もちろん微視的・短期的にはミスや齟齬も起こる可能性はありますが、その事が巨視的な方向性自体を否定するわけではありません。
- rag_enさんからtakoponsへの3つの指摘
- まずひとつ、発言内容とその発言者個人の行動を混同している。
- 次にふたつ、「どうあるのがよろしいか」という問題と実行上の問題を混同している。
- そしてみっつ、巨視的な問題と微視的な問題を混同している。
では、3つの指摘を見ていきましょう。
- まずひとつ、発言内容とその発言者個人の行動を混同している。
はい。混同しています。rag_enさんの発言と行動(批判行為)についての話をしているのですから当然でしょう。
rag_enさんの発言内容:
>「表現の自由」「言論の自由」
これらは、例えば公権力や集団圧力や文化・社会的圧力や道徳その他等に対抗するために掲げるべきであって、個人のような対象に向かってむやみに使用するべきではないと考えます。
>個人であれば批判回避できる???
この読解自体に少し問題がありますね。その文中”批判回避の条件=個人であれば”みたいな事はどこにも書いていません。
「表現の自由」「言論の自由」を掲げる際、その対象に個人をもってくるべきではないと述べたに過ぎません。
rag_enさん=発言者個人の行動:
・たこぽんさん>個人であれば批判回避できる???
この読解自体に少し問題がありますね。
rag_enさんがtakopons個人の読解について問題アリと批判。
・たこぽんさんあまりこういう事は書きたくないんですけど、たこぽんさんに対して先に指摘しておく事があります。
rag_enさんがtakopons個人に対して指摘。
個人のような対象に向かって「表現の自由」「言論の自由」をむやみに使用するべきではないと考えるrag_enさんは、takopons個人のような対象に向かって問題点の指摘という「表現の自由」「言論の自由」を行使しても構わないのですね?
rag_enさんは、発言内容とその発言者個人の行動が食い違っていてもOK、とお考えなのですか? それとも、「○○するべからず」というルールを作った人間はそのルールを破っても構わないってことですか?
まず「表現の自由」「言論の自由」の話について。「表現の自由」「言論の自由」「批判するrag」「批判拒否するtakoponsさん」という条件があったとして、その場合『ragは「表現の自由」「言論の自由」を掲げて、takoponsさんへ批判行為を正当化すべきではない』という結論になります。この条件でいえることはそれ以上でもそれ以下でもありません。
rag_enさんは条件を破って、takoponsを批判したことになりますね。
- 次にふたつ、「どうあるのがよろしいか」という問題と実行上の問題を混同している。
はい。私は、rag_enさんの「どうあるのがよろしいか」という問題に対して、「こうすればよろしいのですね?」と具体的な実現案(実行上の対策)を提示しました。
rag_enさんからの、
>ragさんの考える「批判の対象となる条件」とは何ですか?
原則的には、行為が対象となるモノの効用(満足度)価値の上昇に繋がる場合、その行為は是であると考えます。逆に、行為の対象となるモノの価値に損害を与える場合は非であると考えますし、最低でも損害を与えないようにする必要はあると思います。
ですから今回のWEBサイトに対する批判についてであれば、動機はなんであれ効用の主体であるサイト主自身が批判を受け入れることに価値を見出している場合、そのサイトに対する批判行為はOKだろうと思います。
との回答を受けて、私が実現案として、
>効用の主体であるサイト主自身が批判を受け入れることに価値を見出している場合、そのサイトに対する批判行為はOKだろうと思います。では、ragさんは、
効用の主体であるサイト主自身が批判を受け入れることに価値を見出しているかどうかを事前に確認してから、批判OKの場合のみ批判するのですね?
と、批判許可の事前確認案を提示したところ、
実行上、「事前に確認してから、批判OKの場合のみ批判する」というのはある種理想的ではありますが、それを全ユーザーがまっとうするというのは現状コスト面から考えても無理だと思いますし、自分自身にとってもそれは同様です。
rag_enさんから「無理だと思いますし、自分自身にとってもそれは同様です」との回答。ぢゃあ、どうすれば問題が解決するんですか? という疑問は次の3つ目の話に移るのかな?
- そしてみっつ、巨視的な問題と微視的な問題を混同している。
そもそも、「事前に確認してから、批判OKの場合のみ批判する」という手段だけが唯一の手段ではありませんし、「効用の主体であるサイト主自身が批判を受け入れることに価値を見出している場合、そのサイトに対する批判行為はOK」という方向性を、どの程度のレベルで実行するかについては述べていません。述べるとするならば、実際にはWEBサイトのタイプや、コンテンツや、書かれている内容から判断する事になると思います。もちろん微視的・短期的にはミスや齟齬も起こる可能性はありますが、その事が巨視的な方向性自体を否定するわけではありません。
rag_enさんがWEBサイトのタイプや、コンテンツや、書かれている内容から判断して、「このWebサイトは批判を受け入れることに価値を見出しているようだから(批判OKか確認せずに)批判しよう」とか、「このWebサイトは批判OKかどうか分からないから事前に確認しよう」とか決めていたら、「公表された言論に対しては批判の対象となる」かどうかを決めるのはrag_enさんということになり、満足度の効用の主体であるサイト主自身(=批判される側)ではないってことになりませんか?
つまり、「公表された言論に対しては批判の対象となる、という単純なルール」は今も生きていて、rag_enさんもこの単純なルールに従って「公表された言論に対しては批判の対象」にして良いということになるのでは?
*1:当初の話題:極東ブログ: もうコメント欄を承認制にしますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。 とか、だから - finalventの日記 とからへん。