なぜ、ネガコメ廃絶論者は自分内ネガコメ基準を表明しないのか?
ネガコメを語る際は、自分にとってのネガコメを表明してから - ekken
でもって、ここで冒頭の「ヒトサマのネガコメ論を読んでもピンとこない感じ」に戻るのですけど、「ネガコメ鬱陶しい!」と訴えるほとんどの人が「自分にとってのネガコメが何を指すのか」を語らないまま「ネガコメいくない!」と主張しているので、その記事に言及する他者との議論がかみ合っていないように見えるのですね。
【問い】
ネガコメ廃絶論者が自分内ネガコメ基準を定義したり、ネガコメ者の具体名を挙げたりしないのはなぜか?
【答え】
抽象論は好きだけど、具体論が嫌いだからです。
- 何かを抽象的に語って言葉をこねくり回すのは大好きだが、具体的な話にはあまり興味がない。
- メタ的な抽象論は永遠に語り継ぐことができるが、個別的な具体論に移行すると議論が収束し、問題解決へと進んでしまう。
- 議論が終わると語ることがなくなっちゃって困るでしょ?
だから、抽象的で曖昧な話にコダワルのです。
抽象化・一般化すれば話を広げられるからです。
- 参考
- 酷評するヤツに守ってもらいたいルール - 俺はセンチメンタルカンガルー
現実的な提案かどうかはさておき、俺がやってもらいたいのは、物事を批評するとき、最後に「自分が好きなものを列記する」ということを基本的なマナーにすることだ。例えば「ワンピースという漫画はクソだ」と言い切る人間の好きな漫画に「RAVE」て書いてあったら「あーなるほど。ものを見る目がない人なんだ」って、読む側がその人間のパーソナリティーを理解できるし、
- 混乱の二重奏【書評】『アーティスト症候群』【広告】その2 - こころ世代のテンノーゲーム
「問いの存在そのもの」をメタ批判するという不誠実さがなければ、「答え」が導けないのである。当たり前と言えば当たり前だが、「問いを回避する」ためには、「問いそのもの」について語れば紙幅は費やせてしまうのだ。そしてもちろん、その方がお手軽なのだ。
- 不倒城: 「個人的な問題でも一般化したい病」について
恋愛論とか最たるものなんだけど。世の中には、「どう考えても特殊な状況における個人的な問題なんだけど、それを一般的な問題にしたい、凄くしたい」という病気にかかっている人がたくさんいる。そりゃもう数限りなくいる。
- 酷評するヤツに守ってもらいたいルール - 俺はセンチメンタルカンガルー