なぜ理屈っぽい人は嫌われるのか?

問い:どうして理屈っぽい人は嫌われてしまうのか?
答え:日本の国家政策であり、ひいてはアメリカ合衆国の陰謀だから。

  1. 1967年10月:羽田闘争
  2. 1968年05月:全学共闘会議全共闘)結成
  3. 1968年06月:日大バリケード封鎖
  4. 1968年07月:デモ&ストライキ突入
  5. 1968年09月:日大バリケード強制撤去
  6. 1968年09月:大衆団交の確約(日大)
  7. 1968年10月:大衆団交の破棄(日大)
  8. 1968年10月:新宿騒乱
  9. 1968年11月:東大・日大闘争勝利全国学生総決起大会(総決起集会)
  10. 1969年01月:安田講堂攻防戦
  11. 1969年02月:日大バリケード撤去・解体
  12. 1970年03月:よど号ハイジャック事件
  13. 1972年01月:山岳ベース事件
  14. 1972年02月:あさま山荘事件

西暦の間違い等あったら、ご指摘ください。リストに挙げた最後の3つは学生運動とは直接関係ないかもしれませんが、派生して起こった重大事件としてピックアップしました。


【注意】↓ここから仮説です。フィクションです↓

  • 一連の学生運動を受け、反体制の芽を摘むためにはどうすればいいか?と考えた政府首脳や官僚高官たちが密かに考えた作戦。それは、日本の若者たちを「バカ」にすること。
  • 受験戦争ブームを起こして大学進学率を上げ、マークシート方式の記憶力の良さ=頭の良さ=学歴の高さ、という価値観を植え付け、若者から思考力を奪うこと。
  • 記憶力と思考力は密接に関係しているが、本来、記憶と思考は異なる性質のもの。
  • しかし、教科書に載っていることをどれだけ多く記憶できるか否か?が「頭の良さ」の判断基準となり、思考は切り捨てられてしまった。

なぜ、思考が切り捨てられたのか?

  • 思考の発端は疑問から始まるので、疑問を封じるために「つべこべ言わずに覚えろ」「覚えなければならないことは沢山あるぞ」「疑問を抱くこと自体がナンセンスだ」と若者たちを記憶漬けにした。
  • と同時に、「疑問は悪である」「従順は善である」という刷り込みを行ったのである。
  • また、日本の若者たちが従順になってくれるのはアメリカにとっても好都合なこと。

だから、

  • 若者たちの無気力・無関心・無感動は問題だ〜云々、というのはウソ。体制側にとって、無気力・無関心・無感動こそ歓迎すべきことなのである。
  • 若者たちはもっと政治に関心をもって〜云々、というのもウソ。政治に関心なんて持って欲しくないのだ。
  • 若者たちよ本を読め、というのもウソ。若者たちに変な知恵や特定の思想を持って欲しくないのである。ちなみに私、takoponsも政府の方針(裏政策)に忠実に従っているので本は読まない。それこそ月に一冊も読まない。
  • 義務教育課程において近代史や現代史を省略しがちなのは、近現代史に興味を持って欲しくないから。
  • 義務教育課程において租税教育をじっくり教えないのは、納税の意味について考えて欲しくないから。税金は行政に直結しているからね。

そして、

  • 社会システムの枠内でがんばる若者たちは応援するが、枠からはみ出そうとする若者は全力で叩き潰される。例えば、ホリエモンが有罪で、日興證券が上場維持ってのはおかしいでしょ?
  • 何かを疑ったり物事の意味を深く考えたりする人は忌み嫌われるが、何も考えずとりあえずやってみるぜ!という人は賞賛される。実は神様も、まずやってみる!という前向きな人を応援しがち。神も仏もイジワルだ。善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。
  • ポジティブは善、ネガティブは悪。肯定は良いこと、否定は悪いこと。感情を素直に表すのは素晴らしいこと、思考を論理的に述べるのはイケナイこと。

よって、

理屈っぽい人は嫌われるのである。


まとめ

理屈っぽい人が嫌われる理由は、全共闘のような大規模な学生運動を二度と起こさせないために日本政府が仕組んだ極秘政策によるから。物事を理屈っぽく考える若者たちを精神的に抹殺したいからである。

【注意】↑ここまで妄想です。ファンタジーです↑


以下、参考になった記事など。


自分が産まれた年に世の中で何が起こっていたか、どういう空気だったかご存知だろうか。少なくとも僕は僕が産まれた年に世の中で何が起こっていたのか、ほぼ何も知らない。
〜 中略 〜
日本史の年表は羅列された記号みたいなものだったし、戦中、戦後の所謂「近現代史」に至っては中高の授業ですら駆け抜けたほどで、頭の中にあるのはテレビや雑誌から得た断片的な知識の、小さな塊みたいな認識だけだ。もちろん「歴史認識などは実際的に生活する上でそれほど役には立たない」というのも正しいとは思う。

実生活に役に立たない知識はムダだから知らなくてもいい、というような風潮はあると思います。生活も仕事も大事ですからね。


全共闘の人々が犯罪的だと思うのは、彼らがバカげた運動をしたせいで、その後の日本人の大多数が社会運動そのものに決定的にネガティブなイメージを持つようになってしまったこと。そして民衆が歴史を動かすという具体的イメージを日本社会が失ってしまったことです。学生運動が実際に社会を動かしてきたフランスや韓国などの活力比べて、日本がここまで硬直してどうしようもなくなっているのも一重に全共闘運動の責任だと思うのです。

ニヒリズム的な態度がカッコイイことで、熱く議論を交わすのはダサイこと、という価値観が広く浸透して一般に受け入れられてしまったことも、学生運動や社会運動が下火になったことと関係しているのではないか?と思います。というか、1960年代当時も大多数の人たちは学生運動に対して冷ややかだったろうと存じます。それでも一部の学生たちは熱狂できたし、社会に直接コミットできると信じていた。でも今はどうだろうか?


(続く)