言葉を失ったブロガーはどこへ行くのか

仕事で日報を書いている。 その日の勤務時間や業務内容を書いて社内メーリング・リスト(ML)に流す。

日報の項目に、「その他・感想」という欄がある。 自由枠である。

私はこの「その他・感想」に、仕事の問題点や気づいたこと、職場環境・批判・電車遅延・勤怠・システム開発の技術的なことなどイロイロ自由に書き綴っていた。 毎日、何かしらの感想や意見、不満や不安、思ったこと感じたことなどを述べていた。

6月から派遣先が替わり、仕事場も変わり、新しい職場環境についての意見や不満を「その他・感想」に書いて、いつものように自社へ日報を送った。

翌日、社長から電話があった。 社長曰く、

  • あんなネガティブな内容を他の社員が読んだらメンバの士気が下がるだろう。 他のメンバの気持ちを考えろ!
  • もし来年、新人が入社して来た時、あのメールを読んだら不安になるハズだ。 若者を不安がらせてどうする?
  • 複数の人間が目にするMLであることを常に意識してくれ。 日報は必要最低限の業務報告だけ書いてくれればいい。

とのこと。

要するに、「余計なことは書くな、批判意見やネガティブな文章をメーリング・リストに流すな」ということらしい。

私は、「分かりました」と伝え、早速その日の日報から感想&その他欄には、「特になし」とだけ書いて送るようにした。

  • 特になし

そして私は言葉を失った。 社内MLにおいて言葉を奪われたのだ。

確かに、日報はラクになった。 以前まで数行〜十数行の意見や感想や怒りや悲しみを述べていた箇所に「特になし」とだけ書けばいいのだからこれはラクだ。

しかし、自分の中の「言葉を綴るチカラ」の源泉(みなもと)を断たれたような、そんな気持ちになってしまった。

  • 言葉を失ったブロガーはどこへ行くのか

メーリング・リストで言葉を抑圧されたブロガーは、自身のブログで叫ぶのか。 それとも、ブログ上でも自分で自分の言葉を抑制するようになるのか。

自分の中に湧いてくる言葉たちをブログという名の川に流さなかったら、やがてダムは決壊するのか? それとも、言葉の泉が涸れて乾き果ててしまうのか?

  • 参考

他人の不幸は蜜の味: 社内ブログで日報を出させたい

この記事↑を読むと、ウチの会社では社内ブログなんてまず無理だろうなあ。と思う。 もし仮に始めたとしても、私だけ投稿禁止にされたりして? 「ネガティブ発言は禁止だ!」とか注意されたりして実にくだらない社内ブログとなるだろう。

  • 続き

takoponsの意味 - 続・言葉を失ったブロガー