罵倒と謝罪

罵倒する相手を間違えると、罵倒した本人が恥をかくことになるかもしれない。 もう既に、罵倒の言葉を吐いた時点で恥をかいているワケだから、これ以上の恥の上塗りは回避すべきなのではないだろうか?

旅の恥はかき捨て、ブログは旅のようなものだ。と申します。 皆様いかがお過ごしでしょうか? こんばんわ、takoponsです。

「ばーか」は、、幼稚過ぎて却って罵倒に見えなくなってます。
ピー♪の ネットでのつまらない話 - 確かに嘲笑は、

私は、standpoint1989さんが幼稚だとは思わない。 standpoint1989さんは、とてもマジメな方(かた)だと思ってます。

で、あるから公論として通用しないのはその通りであって、この点は謝罪に値するだろうし、takopons氏と名前を書き難い人に謝罪する。
愛に史観を-NetWatch- - 批判と嘲笑

私は、怒ってもいないし傷ついてもいない。 謝罪を要求したつもりもない。

takoponsの意味 - 「知的な人」と思われたい、という下心ってあるよね?
↑このエントリについて補足するなら何だろうか?と考えた。

  • 読み手として難しい文章を読むのは少しはガマンできる。 それで自分の知識や思考が広がり深まるのであれば、ある程度の苦労は必要だと思うから。 難しそうな文章でも、実際に読んでみないと始まらないし、分かりっこない。 読まず嫌いは喰わず嫌い。
  • しかし、書き手の立場としては、小難しい単語を並べて書くのはやめて、難解な言い回しも避けて、できるだけ平易に分かりやすい記述を心がけたほうが良い。 それは、読んでもらうための(読者への)心遣いとして。

想定する読者に合わせた書き方があるのはもちろん承知の上で、です。 かく言う私だって、特定少数の人に向けてエントリを書くことはあるから。 というより、私のほとんどの記事が特定少数向けかもしれない。 まだまだ分かりにくい部分が多々あるかもしれない。

ただし、分かりやすさ「だけ」を追求した結果、自分の書きたいことが自由に書けないようになってしまうのは問題でしょ。 分かりやすく書くことが自然にできたらいいね♪

たまにはワケわかんない記事を書いてもいいね! でもでも、意味不明のエントリを連投し続けてるとキチガイ認定される危険性もある諸刃の剣、シロートにはオススメできない。

  • 簡単便利なモノが人気の世の中だから

あえて、複雑怪奇で難解至極な表現にチャレンジしようとする、その意気込みは分かる気がするあまのじゃく。

補足説明は以上。

ところで standpoint1989さん、「名前を書き難い人」とはいったい、どなたのことなのでしょうか?

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