批判と嘲笑

誰かの意見に対して反論しようとして、その反論文の中に明らかに嘲笑が含まれていたとしたら、もはや批判・反論にはならない。


批判するのであれば、手続きを踏んで、罵倒や嘲笑を排してやればいいのであって、罵倒や嘲笑は誰かを「痛い人」とする内的な絶対性を公共に持ち込んでしまう態度だと僕は見る。

なるほど。 では、以下のエントリは罵倒の類ではない、ということか。


我が身のこととして反省・・・なんてしねーよ、ばーか。
そんなのてめーの好みじゃねーか、てめーのカッコつけはカッコワルイつーカッコつけを押し付けんなってーの。
http://lsty.seesaa.net/article/8611058.html
これとかな。てめーがそれを三行で書けってーの。

standpoint1989さんの言葉をそのまま拝借するなら、誰かを・何かを「批判するのであれば、手続きを踏んで、罵倒や嘲笑を排してやればいい」と、私も思うのだが、簡単原理主義者ってカッコワルイの記事からは、「罵倒や嘲笑を排して」いるようには感じられない。

これは私の読解力の問題なのだろうか?